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世界の皆がチリ映画史を待っている

 ラテンアメリカ映画を観始めて結構経ちますが、その中でも特にチリの映画史に興味を持ってきました。独裁政権の何度とない弾圧により映画産業は絶滅寸前にまで追い込まれながらも、そのたびに力強く復活し、国際的に評価される数々の傑作を送り出してきたからです。

 世界中の未公開映画を紹介するブログを書いている済藤鉄腸さんという方がいます。いま各国の映画批評家にインタビューを行い、その国の知られざる映画史について紹介する取り組みをしています。そんな済藤さんが先日チリの映画評論家Héctor Oyarzúnにインタビューした記事を上げていました。これはチリ映画史における貴重な日本語の資料です!

 済藤さんの素晴らしく楽しい記事を引用しつつ個人的なことをつらつらと書いていきたいと思います。

最近になると、ドキュメンタリー制作が最も際立った特徴になっています。"ドキュメンタリー"とは言いますが、多くの作品がその境界線を曖昧にしています。もしあなたがIgnacio Agüero イグナシオ・アグエロ、José Luis Torres Leiva ホセ・ルイス・トレス・レイバやCamila José Donoso カミラ・ホセ・ドノソの作品を観たなら、それらが"狭間"の空間にあるものだと気づくでしょう。

 パトリシオ・グスマンに代表されるようにチリは強力なドキュメンタリー映画の歴史を持っています。上記の3人の中で最も有名なのは後述するイグナシオ・アグエロでしょう。『100人の子供たちが列車を待っている』は日本でも非常に人気が高く、ドキュメンタリー映画の金字塔として毎年のように回顧上映されています(2018年新宿K's cinema、2019年名古屋シネマスコーレで上映されました)。

 日本配給のパンドラで映画買付を担当した中野理惠さんの「『100人の子供たちが列車を待っている』日本配給の裏話」はいい話なのでぜひ読んでみてください! いかにこの映画が愛されているかわかります。

 ホセ・ルイス・トレス・レイバの「El viento sabe que vuelvo a casa」(2016)はそのアグエロがドキュメンタリーを撮ろうとしているところを撮ったドキュメンタリーです。映画評論家の赤坂太輔さんが2017年ベスト映画に挙げていましたが私も面白く観ました。カミラ・ホセ・ドノソの最新作「Nona. Si me mojan, yo los quemo」(2019)は最近観ましたが不思議な…ドキュメンタリーなのか…あのラストの火炎瓶は…。

TS:チリ映画で最も重要な人物は間違いなくRaúl Ruizでしょう。"Tres tristes tigres"や"La Ville de Pirates"などの作品は世界のシネフィルに神のように崇められています。
HO:ある人はアカデミックな領域においてRuizの"オーバードーズ"を起こしていると言いますが、彼の作った作品はあまりにも多すぎて彼を発見するために多くのことをしなくてはならないのも真実です。

 ラウル・ルイスは120本以上に及ぶ膨大なフィルモグラフィを残した偉大な監督です。2016年にはパリのシネマテーク・フランセーズで75本(!)もの特集上映が組まれました。

 1973年のクーデターで亡命して以降30年間パリで活動しており、欧州で知られている主要な映画はパリ時代のものなのであまりチリの印象がないかもしれません。しかし欧州にラテンアメリカのマジックリアリズムの手法を持ち込んだのは彼の功績によるところが大きいと私は思っています。彼は2011年にパリで亡くなりましたが遺体は遺言どおりチリに埋葬され、葬儀の日はチリのNational Day Of Mourningとされました。

RuizとValeria Sarmiento バレリア・サルミエント――彼女はRuizの妻であり編集技師、そして素晴らしい映画監督でもあります――は亡命し、20年間本作は観られることがありませんでした。

 パートナーのバレリア・サルミエントもまた重要な監督です。一般的にはラウル・ルイス作品の編集として知られていますが、彼女自身も監督として「Amelia Lópes O'Neill」が1991年のベルリンのコンペに入りました。今年2020年にはラウル・ルイスが1967年に撮影していたフィルムを構成・編集・再監督した「El tango del viudo」が公開され、ベルリンで特別上映されました。

TS:個人的に好きなチリ映画はPatricio Kaulen パトリシオ・カウレンの"Largo viaja"とMiguel Littin ミゲル・リッティンの"El chacal de nahueltoro"です。これらの力強い映画的言語には魅了されます。

 ミゲル・リッティンの「El Chacal de Nahueltoro」(「ナウエルトロのジャッカル」)は私も好きな作品です。ピノチェト政権以前のチリにおいて最も人気だった映画のひとつで、現在でもチリの人はみんな知っている国民的映画です。ノーベル文学賞受賞者のJ・M・G・ル・クレジオは「Ballaciner」(邦題『ル・クレジオ、映画を語る』)というエッセイで自身の偏愛する映画を100本以上紹介しています。その中で唯一のラテンアメリカ映画として名前を挙げているのがこの「ナウエルトロのジャッカル」でした。

 もうちょっとラテンアメリカ映画入っててもよかったんだけどな……。ちなみに約100本のうち11本が日本映画です。特に『雨月物語』は「10代の頃に映画が芸術であることを教えてくれたのは溝口だった」とまで語っています。

TS:外側から2010年代最も重要なチリ人監督を選ぶとすれば、それはPablo Larraín パブロ・ララインになるでしょう。彼の作品や功績はチリでどのように受け入れられているんでしょう?
HO:思うにこれはとても興味深い問題です。なぜなら私はチリ人以外の人々と何度もララインの映画について議論してきて、その反応は様々なものだったからです。彼については論争を呼ぶだけの理由があり、それは議論と切り離すことができません。

 そうなんですよね。これはとても面白い話です。パブロ・ララインは世界で最も有名なチリの映画人ですが、チリ国内ではそれほど絶賛一辺倒であるわけではありません。理由は済藤さんの記事にもある通り彼が右派大物政治家の両親のもとに生まれたことに由来しています。

例えば「ネルーダ 大いなる愛の逃亡者」は実在の人物という枠から遠く隔たった存在の神話や表象を分析する意味で興味深いものでした。

 『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』は世界では神格化されているけれどチリでは毀誉褒貶あるというパブロ・ネルーダの二面性を描写した映画でしたが、これはラライン本人のことなのかもしれません。

何度も繰り返しますが、私はIgnacio Agüeroの"El otro día"(2012)を挙げたいですね。

 「El otro día」(2012)は2013年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されたので『サンティアゴの扉』という邦題がついています。上映時の紹介文を引用します。

 チリ、サンティアゴのとある家。陰影にあふれた美しい映像を通して、見る者はある家族の記憶へと深く導かれていく。が、たびたび訪問客が玄関の呼び鈴を鳴らし、遮られる。家の主である映画作家はその訪問客たちに興味をもち、彼らの日常へも入り込んでいく。サンティアゴの町、路地の姿、そこで生き、働く人々との対話から、家族史とチリ現代史が詩情豊かに交錯する。第1回YIDFF '89で上映された『100人の子供たちが列車を待っている』、YIDFF '93『氷の夢』のイグナシオ・アグエロ監督作品。

 最後になりますが、アップリンククラウド並びに各種配信サイトでパトリシオ・グスマンの『光のノスタルジア』『真珠のボタン』が配信されています。この2本を観ればチリが歩んできた歴史とチリ映画史が持つ力強さを感じることができるはずです。


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