マガジンのカバー画像

Tibet issue | チベット問題

18
運営しているクリエイター

#Dalai_Lama14th

「犀の角のように」

「犀の角のように」

2008/04/17

「他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め」
(仏典:『スッタニパータ』)

3月14日にチベットの首都・ラサで始まった「騒乱」より早、1ヶ月余りが過ぎた。やはり、以前の記事でも示したが、予想通り中国政府は強硬姿勢を全く変えようとはしない。多量の兵士・武器をチベットへ投入してチベットの管理を更に徹底しチベット人の弾圧・摘発を進めている。情報統制も相変わ

もっとみる
「暴力」には「非暴力」を

「暴力」には「非暴力」を

2008/03/19

予想通りというか、いつも通りと言うか、“チベット騒乱”に関し中国政府は連日常套句を繰り返している。全く、唖然とする稚拙さ。これが本当にオリンピックのホスト国の政府の対応だろうか?

中国首相・温家宝みずから、全国人民代表大会(=国会に相当)でダライ・ラマを名指しで非難した。「ダライ集団が組織し綿密に策動し扇動して起こした事件」「ダライ集団の独立を求めず和平対話をするとの標榜

もっとみる
『非暴力と権力』

『非暴力と権力』

2007/10/26

10月17日、チベット難民支援の最大組織、アメリカのNGO・インターナショナル・キャンペーン・フォー・チベット(ICT)よりメールが入った。ダライ・ラマへの勲章授与関連のウェブ放送の案内だ。

この度、米国議会よりダライ・ラマに勲章が授与された。平和・非暴力・人権・宗教の分野での顕著な貢献を評価してのものだという。なるほど。ワシントンは祝賀ムード一杯だ。だが待て、何かおかし

もっとみる
Greetings & 再出発 ― 「チベット問題」再考

Greetings & 再出発 ― 「チベット問題」再考

2007/05/23

Greetings!

旧知の方々、「御無沙汰致しました」。他の方々、「初めまして、今後、宜しく御願い致します」。 Anyway, I'm back.

チベット難民を描いたドキュメンタリー作品・『チベット難民~世代を超えた闘い』 (『Tibetan Refugees: A Struggle Beyond Generations』(英語版))を制作してから 早、5年以上が経

もっとみる
ダライ・ラマ 回想(6)

ダライ・ラマ 回想(6)

2007/07/07

(『ダライ・ラマ 回想(5)』より続き)

再度言う。ダライ・ラマを「裸の王様」にしてはならない。
タブーにしてはならない。

仏教徒のあるべき姿勢を、ダライ・ラマは常々こう語っているー

「盲信してはならない。対象を十分に吟味・検討した上で信じるか否かを判断する必要がある」

これは、いわゆる「科学的アプローチ」と同意だ。その根底には冷静な批判精神がある。(以前読んだ本の

もっとみる
ダライ・ラマ回想(5)

ダライ・ラマ回想(5)

2007/06/25

(『ダライ・ラマ 回想(4)』より続き)

2003年9月、ダライ・ラマに対する「不信・失望感」が更に強まる出来事が起こった。

ブッシュ大統領を訪問の際、こともあろうに、「旧友に御会いしたようだ。彼はチベット人へ心から関心と同情を寄せてくれている」とダライ・ラマは記者団に話したのだ。半年前、ブッシュは国連の勧告を無視し「イラク戦争」へと突き進んだ。9月の段階で、あるイラク

もっとみる
ダライ・ラマ回想(4)

ダライ・ラマ回想(4)

2007/06/24

(『ダライ・ラマ 回想(3)』より続き)

だが、当然のことながら、人間の意識・体質はそう簡単には変わらないものだ。

ダライ・ラマが倒れたことで、難民コミュニティーにはかなりの動揺が広がっていた。チベットから逃れてきた人々(特に中年以上)にとって、宗教(チベット仏教)は生活の中心であり、ダライ・ラマはやはり絶対的唯一無二の存在なのだ。一方、インドなど他国で生まれ西洋的な教

もっとみる
ダライ・ラマ回想(3)

ダライ・ラマ回想(3)

2007/06/16

(『ダライ・ラマ回想(2)』より続き)

翌2000年、ダライ・ラマは初めて教育機関(京都精華大学)の要請を受けての訪日を果たす(それまでの招聘元は宗教団体)。いつもと同様、ダライ・ラマの外国訪問を阻止しようと中国政府は躍起になり、招聘元に圧力をかけてきた。しかし、若い大学スタッフが果敢にこれを凌ぎことなきを得る。「環境と人間」に関する講義、シンポジウム、心身障患者との交流

もっとみる
ダライ・ラマ 回想(2)

ダライ・ラマ 回想(2)

2007/0604

(『ダライ・ラマ 回想(1)』より続き)

そして、12年の時を越え単独インタビューの実現。目の前のダライ・ラマは気さくなおじいさんという感じだ。うっすらと毛の生えたきれいな形の(うちの祖父を少し思い出させた)坊主頭がそう思わせるのか。無論、バリトン調のハキハキした声、時折見せる眼光の鋭さなどに“オーラ”は現れていた。

私は率直に質問をぶつけた。

「あなたは1988年にチ

もっとみる