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#Dalai_Lama14th
「暴力」には「非暴力」を
2008/03/19
予想通りというか、いつも通りと言うか、“チベット騒乱”に関し中国政府は連日常套句を繰り返している。全く、唖然とする稚拙さ。これが本当にオリンピックのホスト国の政府の対応だろうか?
中国首相・温家宝みずから、全国人民代表大会(=国会に相当)でダライ・ラマを名指しで非難した。「ダライ集団が組織し綿密に策動し扇動して起こした事件」「ダライ集団の独立を求めず和平対話をするとの標榜
Greetings & 再出発 ― 「チベット問題」再考
2007/05/23
Greetings!
旧知の方々、「御無沙汰致しました」。他の方々、「初めまして、今後、宜しく御願い致します」。 Anyway, I'm back.
チベット難民を描いたドキュメンタリー作品・『チベット難民~世代を超えた闘い』 (『Tibetan Refugees: A Struggle Beyond Generations』(英語版))を制作してから 早、5年以上が経
ダライ・ラマ 回想(6)
2007/07/07
(『ダライ・ラマ 回想(5)』より続き)
再度言う。ダライ・ラマを「裸の王様」にしてはならない。
タブーにしてはならない。
仏教徒のあるべき姿勢を、ダライ・ラマは常々こう語っているー
「盲信してはならない。対象を十分に吟味・検討した上で信じるか否かを判断する必要がある」
これは、いわゆる「科学的アプローチ」と同意だ。その根底には冷静な批判精神がある。(以前読んだ本の
ダライ・ラマ回想(5)
2007/06/25
(『ダライ・ラマ 回想(4)』より続き)
2003年9月、ダライ・ラマに対する「不信・失望感」が更に強まる出来事が起こった。
ブッシュ大統領を訪問の際、こともあろうに、「旧友に御会いしたようだ。彼はチベット人へ心から関心と同情を寄せてくれている」とダライ・ラマは記者団に話したのだ。半年前、ブッシュは国連の勧告を無視し「イラク戦争」へと突き進んだ。9月の段階で、あるイラク
ダライ・ラマ回想(4)
2007/06/24
(『ダライ・ラマ 回想(3)』より続き)
だが、当然のことながら、人間の意識・体質はそう簡単には変わらないものだ。
ダライ・ラマが倒れたことで、難民コミュニティーにはかなりの動揺が広がっていた。チベットから逃れてきた人々(特に中年以上)にとって、宗教(チベット仏教)は生活の中心であり、ダライ・ラマはやはり絶対的唯一無二の存在なのだ。一方、インドなど他国で生まれ西洋的な教
ダライ・ラマ回想(3)
2007/06/16
(『ダライ・ラマ回想(2)』より続き)
翌2000年、ダライ・ラマは初めて教育機関(京都精華大学)の要請を受けての訪日を果たす(それまでの招聘元は宗教団体)。いつもと同様、ダライ・ラマの外国訪問を阻止しようと中国政府は躍起になり、招聘元に圧力をかけてきた。しかし、若い大学スタッフが果敢にこれを凌ぎことなきを得る。「環境と人間」に関する講義、シンポジウム、心身障患者との交流
ダライ・ラマ 回想(2)
2007/0604
(『ダライ・ラマ 回想(1)』より続き)
そして、12年の時を越え単独インタビューの実現。目の前のダライ・ラマは気さくなおじいさんという感じだ。うっすらと毛の生えたきれいな形の(うちの祖父を少し思い出させた)坊主頭がそう思わせるのか。無論、バリトン調のハキハキした声、時折見せる眼光の鋭さなどに“オーラ”は現れていた。
私は率直に質問をぶつけた。
「あなたは1988年にチ