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鳳来寺山 参拝

写真は「産道 スターゲイト」

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2023/07/12 初稿
2023/08/03 加筆修正
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 文字通り後世(恒星スター)に残る傑物がここ鳳来寺山を糸口に、幼名「竹千代」の懐妊へ繋がっていった。

 原初は戦国時代と呼ばれる暗黒から端を発する。「超新星爆発」と呼ばれる竹千代爆誕の数年後、質量のバランスに変化が起き始まる。群雄割拠する分子と武士がぶつかり、凝縮が幾度も繰り返された。後に一つの固まり「日本」と呼ばれる集合体の礎、旧態のそれは「江戸」と呼ばれるそれを作り上げるとは、家康の母、於大も知る由は無かったであろう。
 それから数百年後……2023年5月2日

「なに……」 朝刊によると新城市は旧門谷小学校にて『山本武夫とウクライナ学生展 〜ウクライナに思いを寄せて〜』という作品展の存在を知る。勘が良い私は通所型刑務所こと学校での作品展示が意味することとは、不条理な状況の換喩だと直ぐに察知。
「そういうことならばお任せあれ」意気揚々と車に乗り込み 「リック・ダルトン。ザクフリッパー。出る」 決め台詞を吐き、奥三河へ向かう。
 高速道路に乗れば直ぐなのだろうが、それは味気ないので旅路を景色を楽しもうと、三河湾を展望出来る一般道を選択し、車を走らせていくと……直ぐだった。としたいのだが、大型連休の合間ながらも道路は混み合い「何止まっとんねん」「登り坂でアクセル踏めアホ」 「やっぱ高速で行きゃあ良かったわ。畜生め」と、車内一人カラオケ。そういう感じの怒りを数曲唸っていると、直ぐだった。

・鳳来寺山 麓
 バス停「鳳来寺」近くの駐車場に車を止め、鳳来寺タウンを歩き進んで行く。すると程なくして弁財天さんの祠が。弁財天さんといえば芸事の神様だ。創作の一端を担う私はすがるように祠へ、願うように参拝。お願いについてはプライバシーに抵触するため、通常は秘密なんだけど 「しーっ。内緒だよ」 今回は特別に公開するよ。 以下、お願い文。皆んなも声に出して読もう。
「これからもっとThriveな感じで、努力せずともほっといても文章は達人になりますように。女にモテますように。金のネックレスに金銀財宝が送られてきますように。派手な車と自家用ジェットも欲しいです。ホンダ・ジェットでいいですね」  純然な気持ちを黙読後、弁財天さんの偶像は修理中とのことを知り、「ふふ、らしくなって来たな」顎を撫でつけ次へ向う。

・旧門谷小学校
 近くの立て看板『新城51景 昔の木造校舎』によると、始まりは江戸時代の寺子屋。明治5年に学校開校。現在も実在するこの建築物は大正14年の物だとのこと。昭和45年に閉校し、曰く『まだまだ元気です。でも、昭和が遠くなりました』侘しさで閉めるそのやり口にコピーライターの匂いを嗅ぎ取ることが出来る。また『左手 奥です 狭い道にご注意!』という文言だが、これは注意を促すような擬態であり、本筋は健脚の俳人、引き篭もりの不倶戴天、出っぱなしこと松尾芭蕉の匂わせだとグレゴリオ化している私には全てお見通しである。現にここ鳳来寺に松尾さんは来られており、二句程残しており、その中から一句を紹介したい。
『木枯らしに 岩吹き尖る 杉間かな』
ー 松尾芭蕉
☆和暦の西暦化、グレゴリオ化をみんなもやろう☆

「てめえ何屋だよ」こと学び家、通所型刑務所「旧門谷小学校」 事前に下調べしていた私は知っているんだけど、ここはテレビドラマのロケ地なんかにも使われたり「映える」という決め台詞でにぎにぎしく群像する映像作家どもからも人気らしく、奥三河なれどこましゃくれた洒脱な奴らで溢れているらしい。流石の私でもそういう連中を前にすると緊張する。一張羅のタンクジャケットを着込み、橋の前に立つと……。
「こ……これは」
 「映える映える」ガンガンに写真を撮る。通いの刑務所と呪う石橋の両脇に五月の目に青葉、フレッシュなライムグリーンの街路樹がわさわさ育っており、橋向こうの被写体「学校」という想念に良い感じのパースを装飾し「いや、これ、いいわ」
 パース付いた奥、運動場と呼ばれる広場からは良い感じの音楽も聞こえ、気分上がり、一掃と激写。程なくすると橋向こうから「すいませ〜ん☆」と、謝る形を一応取っているが、実情は「たのちい〜♪ たのちい〜♪ わ〜い♪ カメラの真ん前どまんなか〜☆」と、私以上に上がっておられるご婦人二名が陽気な声を上げ、此方に向かって来る。芸術に捕らわれた囚人の慣れの果てだろう。いいかね、諸君、囚われとはこういうことでもある。
「呑んでま〜す☆」と、尋ねてはいないのだが自白しながら此方へ接近して来る二名の女性。近づく毎に緊張が走る。見た目は30代くらいから40代。長いこと収監されていたということが意味することは、凶悪な犯罪に手を染めたということだ。
「ええ、お気になさらず、私もですよ」と、私は生きるために少し嘘をついてしまった。ここに来るあいだ、酒を一滴ものんではいないが彼女らに歩調を合わせた。書類上は悔い改めたとはいえ、向こうは前科者だ。何をされるか判ったもんじゃない。グレゴリオ化とは西暦換算ということであり、相手の行動心理とかテレパスとかそういうのは保証対象外であり、読むことは出来ない。
「ごめんなさ〜い☆」繰り返される形上の謝罪。そして繰り返される接近。
「ああ、大丈夫ですよ。むしろ(お姉さんたちを)撮ってます」と、考え方に更なる変化を加え、彼女らを被写体として徴用させてもらうことにした。後に写真を見返すと、堀の中での改悛かいしゅんと開放感からか、満ち足りた表情である。
「お出所つとめご苦労様です」 すれ違いざまに自然とそういう道筋の人が使いそうな季節の言葉を口にしていた自分に驚く。これで俺も悪の仲間入りだ。

 写真を撮り終え、石橋を叩きながら渡ると運動場。周囲には囚人が商いを行なっており、被服屋や何故だかレコード屋も居たりして大変良い音が出ていた。近くには密造酒販売店もあり、出来たらここで酒を飲み、音楽を聴きながらゆるりどろりと過ごしたいのだが、私にはやることがある。囚われの誘惑に負けず、ズンズンと進んで行く。
 そういうことですので私は校舎に入獄。下脱し、下駄箱に履き物を納め、囚人番号125こと私はルポ調査。一番奥、廊下の細道を走らないように抜き足差し足、そろ〜りそろりと進むと、直ぐだった。
『山本武夫とウクライナ学生展 〜ウクライナに思いを寄せて〜』
 主幹、山本武夫作品が体育館内にずらずら〜と並べられ、まずは作家生い立ちを読んでいく。すると背後から何かを感じ、振り向く。そこには髭を蓄えた男性と、寄り添う女性の老齢夫妻。白髭の男性と目があう。私は「あれ? もしかして」と目で伝える。するとその白髭は自身を指差し「そう、わたし」本人だと示された。精密に描写るならば、その指差しは鎖骨と咽頭の狭間を示し、そこには強烈な白いもやと化した立派な髭があり、私は白い髭が本体なんだと認知。
 白髭が描いた作品をゆっくりと見たいのだが、本人(白い髭)がそこに居るとなると何かと気を遣う。「これは、うーん……」のように鑑賞する姿を捉えられると思うと、いや今の態度はそういうのではないのだ。「ち、違う。違う!」と、申開きを伝えた方が良いのだろうかと、後ろ手の制作者の気配を強く意識し大きく疲労。
 時折お二人から聞こえる声は「あっこの、餅。あれは良かった」や「今日は風があるから涼しくて」と、生活の隙間が伺える内容であり、自意識を過剰に炸裂していた自分が無駄に骨を折ったことを痛覚する。
『耐える人』という作品が良かったので白い髭も居ることだし、色彩論などを吹っ掛けるわけでもないのだし、何も言わず場を後にするのは無粋かと、色々とそれなりに考え、拳を握り「ボキボキ」と、骨を折り鳴らし、良かったことを伝えることにする。すると嬉しそうにされていたので此方も嬉しくなり、その場を後に。モビルドールさんと別れたその後に、私は何故拳骨の骨音を鳴らしたのだろうか? 重圧がひっくり返り、無意識に相手へ圧力を返すという心理的抵抗のそれを覚えたのだろうか。
 しかし、そうしたアホな内省のタームは直ぐに終わる。隣で開催されていたウクライナ美大生の作品展示を目にしたためだ。現在の戦争、被侵略側のウクライナが描く物には直接、間接的に否が応でも揺蕩う硝煙の香りが嗅ぎ取れ、日々明瞭に圧力を感じていることが節々に現れたていた。日本に来たくとも来れない彼らはデータを転送し、印刷した物と、日本語に訳された作品紹介文が2クラスに別け展示されている。
 ウクライナが受けている侵略戦争に私が思うことは一貫して変わりない。それは「侵略する奴が悪い」 であります。
「ロシアだから」や「アメリカだから」などとアレコレ、ポジションや主義からぬ謂れを口にされる方も居られるが、やったもん勝ちが蔓延れば平和もクソもないだろう。だから侵略行為は悪いのだ。こんなもんは「近代」と呼ばれる時代に幾万もの死者を量産し、周知されたこと。単純なことに色々と継ぎ足し、無駄に複雑にする必要はなく、侵略後起きているのは「演出」と「事故」だと観ております。
☆ウクライナに触れるにつれ、これらを繰り返し書き残していきたい。

 ウクライナ学生による作品鑑賞を終える頃、キュレーターから声を掛けられたことからこの旅のテーマは予期しない変化を見せる。
「鳳来寺山に登られるのですか?」と、問われた。え、なんで? その時の私の服装はタンカージャケットにオリーブグリーンの編み上げブーツ。カメラを詰め込んだバックパック姿。山系の人と思われたのだろうか? 行軍の方?
「ええ……」と、何故だか私も判らないのだが答えてしまい……。
「1452段?」と、キュレーターはマジで? 今から行くの? もう午後三時近いんだけど。
「あー、普段から歩いているんで、多分問題ないっすね」と、俺はマジで? 今から行くの? もう午後三時近いんだけど。
「へー。健脚だ」と、キュレーターは半ば疑いの声。
「行けるっすね。余裕っすね」と、半ばヤケクソの声を別れの言葉に学校を後に。一ノ門 歴史が歩いた坂道と呼ばれるそれをてくてく歩いて行くと……直ぐだった。

・鳳来寺 山道前
14:51 1452段の石段前に到着。眼前に広がる木々と石階せっかい。空気がひんやりとし、五臓六腑に染み渡るが溢れる出る瑪那マナ仮名カナ。自然物、とりわけ山岳信仰というものの文脈は知らないが、こうして山道前に立つと、自然物に宿る何かを感じさせられる。私がそうのように山を前にし見ているのかとも思うが、しかし、この気温差、石碑前に立った途端に肌身を持って違いを受ける外的なこれをどう説明するのだろうか? だからといってよう判らん高額な壺などの購入は予定しておりませんので、営業活動はご遠慮しております。
 写真を一枚パシャリと撮り、そして1452段の一段目に足をかける。
「こ……これは」 地獄だった。

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