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映画『ゴジラ-1.0/C』 昭和被写界深度

写真は「とりあえず」(後日差し替えます)

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2024/02/01 初稿
2024/03/11 追記修正
2024/XX/XX 写真掲載予定
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 2024/03/10(米国時間) 第96回アカデミー賞 視覚効果賞受賞。
 山崎監督、スタッフの皆さん。和光ビルヂング、銀座四丁目周辺の方々、おめでとうございます。 受賞の知らせを知り、「成る程、これが推しの気持ちなのか」でございます。

 銀座四丁目は和光ビルヂング。白黒のゴジラが服部時計台を尻尾一振りスイング粉砕破壊。作品リバイル毎に、その帰省本能はゴジラを和光ビルディングへ導く。シリーズ作を重ねた結果、時計台に歴代作品の隠喩が見えてくる。
「素晴らしい。素晴らしい!」 メイド in ジャパン 被害担当鑑「和光ビルヂング」の立ち姿と、スクリーンに映る白黒のゴジラに私は酔いしれていた。

☆和光ビルヂング 「壊さなきゃ♪」ゴジラの歴史☆
・1954年 『ゴジラ』 刈り込み型右フックにより和光ビルヂング服部時計台を破壊。
☆当時のビルオーナーに東宝めちゃ叱られる創世記。
・2016年 『シン・ゴジラ』 熱線により服部時計台及び周辺を破壊。
☆周囲のビルオーナーにめちゃ喜ばれる爛熟記。
・2023年 『ゴジラ-1.0』 テールスライドにより服部時計台を破壊。
☆白黒ディザスター映画で俺めちゃ喜ぶ鑑賞記が本件です。

 化学ないし科学を下敷きにした虚構、ザ☆SF界隈には核汚染による生物の巨大化アトミック ギガンテックが何故だか流行る時期があった。私が幼獣の頃、自宅の本棚にはそうした子供向け科学本が幾つかあり、野球中継が雨で跳んだ際、穴埋めにゴジラが放送されるとなるや、巨獣本を愛読としていた私は両手を掲げ喜び勇み、鑑賞。ほいでもやっぱり山の稜線向こうからゴジラが現れると「ぎゃあああああ」隣合わす台所に逃避し、居間と台所の38度戦、敷居の引き戸隙間からテレビ画面に映る怒涛のゴジラを覗き見たものだった。
 別で記憶しているのは、矢追純一という地球外召喚師だ。未確認飛行物体は絶妙に生本番に飛来せず、謎の飛行物体は永遠に未確認であり、UFOはあれですかね、関西圏の「行けたら行くわ」ということでしょうか? 遠いしね。銀河って。
 思わせぶりなUFOですが、あの番組の核たる問題は、サスペンスを促す独特の曲が流れると抜き差しならないスリリングに陥り、CM前に選曲さる場合、その後フロム太陽系外、灰色の巨頭症リトルグレイが映りだされことが確約され、画面にCGIの知的生命体が映るなり「ぎゃあああああっ」と、台所に退避。居間は恐怖でゾーニング。デンジャーのどん底にゾーンと化し、これが我が家の通過儀礼であり、私の恐怖心と想像力と不眠症の前駆は育まれ、放送日の夜は震えて寝たもので、幾ばくかの感謝の念と、Fワードを強めて矢追さんに呈上致します。
☆UFO特番のあの曲はオリジナル曲だと思っていたら、違ったようです。"Buddy Morrow - Twilight Zone" 夜に聞いたら今でもちゃんと怖かった。

 そんな感じで巨大化するゴジラと特撮でありますが、実際には核汚染後巨大化するということはございません。放射汚染により細胞は巻きで寿命を迎えるものであり死ぬるものであり、ムカつく癌のボケに焼きを入れたり、患者の内側を透視見る念力に似たX線という活用方法にて、国家資格を取得したプロが利用することはありますが、誤読なされるなかれ、成獣化したコモドドラゴンに放射線を浴びせても青龍(ブルース・リー)には昇華致しません。イグアナでも駄目。
 事故的に放射線を浴びた場合起きてももせいぜい肥大化。核汚染により巨大化すること、即ちバルクアップは叶わぬ夢でございます。
 酸素です。自宅で飼育していた金魚を見るに、でかくするならば酸素でございます。大きくぐんぐん巨大化伸び伸びとするといえば建築物。近代化に成功した国家の主要都市は総じて人口が過密し、その解消に向け高層化ましまし、住まいを、人口を、上の方、上の方へと伸ばすこの流れは洋の東西南北に限りません。
 高層ビルとは資本の数値を形骸実存化ビジュアライズに変換したともいえ、所謂「山の手カーペット」 大理石に織り込み職人の布地や動物の皮算用を敷くのが定説であり、差し詰めその姿は森林の成長譚だ。
 創世は下草。大器晩成型である樹木は奴らが発生するしょうもない草合戦に巻き込まれつつも、懸命に上に上へと枝葉を伸ばす。次に低木が林立し、階層化ましまし格差が先か、帰属が先か、権力への中央化、忠誠化が始まり、土中内で繰り広げられる搦手根っ子スリーパーに耐え忍び、艱難辛苦その後、蓄えた知財やなんやらをビルドアップしていくクリエイターはさしづめ樹木さ。
☆ブラジルはファベーラ。その高地優位の関係が逆転し、山から下り金持ちと観光客を狙い、再び山に戻る。山の手に住まう山賊と警察の手入れは高地戦の形相。

 ビキニ環礁沖ボーントゥビー核汚染誕生以降、作品毎に成長を続けるゴジラ。その成長剤は戦略核を原資とするのか? 否。否である。基礎工学から発展続けるニョッキリニョキニョキ生える日本ビルヂング群。成長著しい都市建築物の身の丈を下回るようでは二つ名「キング オブ モンスター」の名折れ。大手ゼネコンに抗戦するかのように水爆の徒ゴジラは身の丈を巨大化し、頼んでもねえのにゴジラは参上。頼んでもねえのに呼応する巨体木偶の坊。首が三つあったり、ヘドロ? サイボーグ化したゴジラのモノマネタレントやロボトミー手術を全身に施術されたゴジラのモノマネタレントなど、巨大な化け物とゴジラが日本各地でインファイトを繰り広げ、巻き込まれるランドマーク。そして人々。大規模迷惑待ったあり。
 日本に名だたる建造物が立像されるとなればアトミックモンスターが焼きを入れにやって来る。Wathc Out 森ビルたん!
☆初代ゴジラ体高50m 以降その身の丈を延伸。直線的成長譚化のようですが、ミレニアムゴジラではY2K問題に巻き込まれ一時縮退。再び成長曲線を描き増大。謂わば再成長のための屈伸とも読み取れます。厄介ですね。
 斯くいう私はゴジラの申し子。というのも私の映画館初体験が映画『ゴジラ(1984)』であり、ゴジラについて私の右に出るものは五万と二千以上おられまして、ゴジラ極右である大学研究者から(探しておりませんが、きっと居る。青春と研究を拗らせた旦那が)街角の愛好家まで(沢山いる。Tシャツを見れば判る)、その強い水爆の化け物愛に耽溺し、好き合戦に巻き込まれると大変めんどくさいことになる予兆に東宝界隈は満ち満ちております。差し詰それは作曲:伊福部 昭「ゴジラの動機」でございます。
 そうした輝かしい銀幕の鑑賞歴を持つ私は2023年の末、映画『ゴジラ-1.0』を「観たい観たいと」内頬を噛み、「観たい観たい」と獣のように唸っていた。すると「2024年は白黒で上映するから来てね☆」とか配給側が言い出しやがり、そんなもん尚更観たいじゃん。
「我俄然観たい」四文字熟語のなり損ないにひらがなの足を出していると……直ぐだった。

・TOHOシネマズ 現着

 私が映画を目にした時から映画界は総天然色だった。台詞は喋るし、洋画は字幕も付いていた。物心ついた頃には黒澤明は死んでいたし、スペクタル作品を白黒の映像で観る機会はまず無かった。よしんばそれはリバイバルで、「キャブレターはウェバー社製を使用」というような、謂わば丁寧にレストアされたクラシックカーを愛でることと同意義で、好事家のモノカルチャーのようでもあった。
 今この時代に白黒作品をレストアではなく、オリジナルでデカいスクリーンに掛けるというのは稀有。何か今までとは違うものを感じ得れるだろうという自分の直感が騒騒さいさいし、劇場に着座。

「こ……これは……」

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