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小指に向かって話してみる

答えをもらえたわけじゃない。それでも、随分と軽くなることはできるみたいだ。

自分は、ノンバイナリーでパンセクシュアルだ。男性でも女性でもないジェンダーで、性別に関係なく人を好きになる。大体そんな感じ。
他にも「もしかして?」はあるけれど、とりあえず一番確からしいものでいくとこの二つだと思うから、ひとまずこれで語っていく。

気付けば、男女恋愛表象になかなかの拒否感をもつようになっていた。少女漫画のようなやつじゃなければ、二次元はまだ平気。だが、特にドラマなんかの三次元については、割としっかりめに「観たくないな」になっていた。親が大喜びで観ている番組をどうしても受け付けなくて適当な言い訳で扉を隔てた回数は、もう覚えてもいない。

さっき、自分は性別関係なく人を好きになると述べたが、正確にいうと最近ではこれが相当「女性」に傾いている。もっと正確にいえば、一番惹かれやすいのは自分と同じ(ようでなくてもいいんだけれど)ノンバイナリーの人だ。まあ、正直好きになったらそんなこと関係ないんだけど。
自分は登録上 “女性” となっているし、まあそのなんだ、見た目も女性寄りらしい。中性のつもりなんだけどな、スカートだってもう何年も履いていないし、可愛らしい服は着ないし。それでもフェムって言われることがしばしばで、その度ちょっと苦しい。

脱線した気もしないでもないが、とにかく、最近自分がずっと引っかかっていたのは、自分が実行する関係性として、多少でもクィアと思われる、異性愛規範だったりから逃れる方法でないと拒否感を覚えるということについてだった。具体的に言えば、「男性」を恋愛対象から意図的に外し、クィアな関係性に固執することは、逆にジェンダーに囚われている結果なのではないか、ということだった。

勿論、恋愛が全てじゃない。どころか、恋愛至上主義には真っ向から反対する立場をとっていることをここに明記しておく。
その上で、偶然(ほんとに偶然)恋愛をする人間がいて、そのちょっとしたやつの記録、くらいに捉えていてほしい。まあここまで意味のない文章を読んでくれている時点で、あなたはそれなりに信用に足る人じゃないかと思うけれど。

あーまた脱線脱線。戻ろ。そうだ、タイトルに近づくようにちゃんと話をしていこう。
そう、小指。なんだそれって思われるかもしれないけれど、自分を軽くしてくれたのは、小指の声だった。

「頭でないところで、考えてみてください」
ほう、と思った。上記の引っかかりに結構思考領域を持っていかれているのが嫌で、こうしたことについての相談に行ってみたのだ。自分が行った場所そのままではないが、よいコミュニティスペースがあるので、都内のみではあるが以下に挙げておく。もし何かしらジェンダーやセクシュアリティに悩んでいる人にこれが届いたら嬉しい。

それで、そうだ小指だ。相談員さんに言われたのは、その悩んでいることをいつも思考する場所(自分は右後頭部と答えた)とは違う身体の部位、または誰か別の人だったらなんと言うだろうか、で考えてみたら、ということだった。
それで目が行ったのが、小指の爪だった。

──以下(擬)会話記録──
自分「なあ、ノンバイナリーか『女性』の恋人ほしいと思うんだが、自分が実践するならクィアな関係性じゃなきゃ、と思ってるんだが、これどう思うよ? 逆にジェンダーに縛られているってことなんじゃねえのかな?」
小指「知るか」
自分「は?」
小指「いやだから知るかって。普段恋愛っぽい𝓼𝓸𝓶𝓮𝓽𝓱𝓲𝓷𝓰になっちまったときって、もうとりま好きってことが先に来んだろ? 自分の理想うんたらかんたら〜やなくてクソデカ感情だろ? なっちまうもんは仕方ねぇんだよ、なっちまったときに考えりゃいい。来るもんは来る。来たときに受けて立ちゃええ(by ハグリッド)」

こんにゃろめ、と思った。こっちは相当堂々巡り考え続けてたんだぞ。何雑に流してくれとるんじゃ。
相談員さんに「どうでしたか?」と聞かれ、「アッハイ、えーっと……」と、上記小指の意見を短めに伝えた。すると相談員さんは、そうなんですね、と一旦受け止めてくれた後に、

「それは、空さんの中でこれまで動かされていなかった考えのひとつですよ」

と。

わーりとびっくりした。あと腑に落ちた。だって、小指がなんて言ったか考えてんのも、どうしたって自分だし。

小指「ほーらな? なっちまったときに考えりゃいいんだよ」
いやこいつ的な考え方は危険なときもあるぞ、極めて極めて。というか基本的に。

まあでも。
確かにそーだな、とも思った。空が落っこちてくるかもしれない、と心配し続けるよりも、落っこちてきたとき、落っこちそうになったときにどーにかすりゃいい。今は、なんとかそれで生きていけるし。

相談窓口、というくらいだから、何かしらの意見をもらえる、答えに近いものをもらえるのだと勝手に思っていた。でも、そうじゃなかった。
けれど、相談室を出た後の足取りは、最近なかったくらいに軽かったと思う。そのときが来たら、考えればいいよな。

手放しじゃない、いつだって。本当はするべきこと、学ぶべきこと、戦うべきこと、時間を費やすべきことが、山ほどある。今のこんな状況なのに、こんなことに悩んで、軽くなったって書いてしまっていいのか、とも考えた。

それでも書いてしまったのだから、ほぼ自分の記録のためのようなものだから、一応ここに置いていく。
もしここまで読んでくれた人がいたら、本当にありがとうと伝えさせてほしい。省エネで書いたから人に見せるためほど面白くも、綺麗にも書いていない、ただの吐き出しみたいな文章だったけど、普段の創作はもうちょっとは面白くしてるつもりだから、許してほしい。

多少だけど動くようになった身体と思考だから、これから少しずつでも、自分のことでいっぱいになって、言い訳をしてきたものを、きちんと直視していこうと思う。目を逸らさずに、見ていきたいと思っている。免罪符的な、決意表明として。

2024.5.12  1:35

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