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事実を伝えて判断は相手に任せる

こんばんは。前回の記事から随分時間が経ってしまいました。
6ヶ月ぶりの湖晴です。ごきげんよう。

昨年から、閉じていた世界を少しずつオープンにしていこうと決心し
人と関わることが増えてきました。(当社比)
人と関わることで、新たな視点や知識が増え、そこから更に新しいご縁を頂いたりとたいへん愉快な日々を送っています。

・・・送ってはいるのですが、もともと人付き合いが得意ではない湖晴。
誰かとの交流が増えるということは、同時にお断りすることも増えるということ。久しく外界と関わっていなかったので、なるほどそういうこともありますよね。思い出してきたぞ・・・。
山からシャバに下りて来た仙人のような心持ちであります。

これまで人に嫌われたくないという想いが強すぎて
NOと言えない日本人を30余年続けて来た私ですが
それでは健全なコミュニケーションは築けないと漸く思い至りました。

断ること=嫌われること、不快にさせること
と認識するようになった明確なきっかけは解らないのですが
きっと家庭環境からくるものなのだろうと思います。
このように、自分の中でパターン化されている思考のことを
「検証されていない価値観」と何かの記事で表現されているのを見て
なるほど、しっくり来たのを覚えています。(PHPだったかな・・)

検証されていない価値観、つまり、実際にそうなるかどうかは
わからないけれど、自分の中ではそうだと決まっていること。
と言い換えてもいいのかもしれません。
自分の中では当然だと思っていることって、思いのほかたくさんありますよね。

何かを断ることで不快になるも、嫌いになるもその人次第なのに。
そしてそれをコントロールすることは誰にもできないのだということ。
自分に出来るのは、自分の行動をコントロールすることだけだということ。

今日はすごくありがたかったのですが、お声がけ頂いたお仕事をお断りしました。自分の中で、今の自分のCPUだとキャパオーバーだな、と思ったからです。正直お伝えするのはすごく勇気のいることでした。考えるだけでお腹をくだすレベルで。
けれど、その方は早めに教えてくれて助かったと言ってくださいました。
私も断られる立場であれば、同じように言ったと思います。
でもなぜか、逆の立場になると「嫌われるかも」」「呆れられるかも」「もう仕事に呼んでもらえないかも」が先行してしまうのです。
相手の心は相手次第なのだから、自分は自分の状態(事象)を伝えるだけでいいはずなのに。
思考のパターンは一朝一夕に変わるようなものではありません。
それでも、こうして一つずつ積み重ねて、わたしはわたしを好きになっていきたい。

この記事はそんな一歩を踏み出せた日を忘れないために書きました。
そしてHSP、アダルトチルドレン、ADHD、様々な性質をもつ私の愉快に足掻いている日々が、同じように人間関係が難しい誰かの、勇気の欠片になれたらいいなと思います。

●生きづらい人向けの記事


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