母親が家にいないお家の子ども #01
働らくお母さんが大変だってことは、おそらく本人と、その育てられた子供にしかわからないでしょうね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・視野狭すぎかな?
この記事では、ほんの子供の頃から、50代の今に至るまでに、なんどもひっくり返った心の軌跡を辿ってみようと思います。
子供の頃を思い出してみると、やはり家に母親がいないのはそれなりに辛かった。
小学校2年生の時に、仲良くしていた女の子のNちゃんから、「Kちゃんはうちに来るのがいいんでしょ、だってお母さんがおやつを出してくれるもんね」と言われたのを強烈に覚えています。
「そんなふうに思ってたんだ・・・・」
それは本当にショックな出来事でした。
今日はどっちの家で遊ぼうか、と何気ないやりとりをしていた時のことです。
子供って残酷なことをフツーに言いますよね。
その時は思いもよらぬマウントに思考が停止しましたが、じつは、それまでのわたしは彼女を羨ましいとは感じていませんでした。
明るい2階にある子供部屋、子供用のテーブルと小さなザブトン、小さなプラスティックのお皿に盛られたこれまた小さなジャムのロールサンド。
ひな祭りの時には上品な量の雛あられが出てきたのを覚えています。
彼女の家に遊びに行くと、居心地のよい安心感に包まれる幸せを感じたものの、おやつの量は少ないし、なにかすべてがよそ行きで、妙な物足りなさを感じたものです。
一方わたしの家では、おやつは台所にストックしてあるクッキーの箱やらを勝手に開けて、好きなだけ食べる方式でした。
ま、食べ物を与えて放置しておくスタイルとも言えますね。
まだ個包装がなかった時代、柿の種や芋けんぴを一袋食べて気持ち悪くなってしまったことも多々あります。
それを1階の暗い雑然とした子供部屋で貪り、誰に咎められることもなく気楽に過ごす。
隠していたマッチを取り出しては火をつけたり、小さな紙を燃やしたりして自分や友達の勇気を試したりしてました。
マッチで火をつけられるって、小さいわたしにはすごいことだったし、なによりも刻々と移り変わる炎の美しさに魅せられていたんですよね。
ま、いま思うと本当に恐ろしいだけですが。
さて、そんなこんなでNちゃんとのやりとりがある前までは、わたしは自分の母親が家にいないということにさして疑問を持っていなかったのです。
おそらくわたしが小学2年生になった時からフルタイムで働きだしたので、その頃に放置状態に拍車がかかっていたのだとは思うのですが、それまでも家に帰ってもいないことが多かったので、仕事はしていたと思います。
あと、わたしの友達が来ても、めんどくさくておやつを出さなかったんでしょうね!
いいと思います、親は子供の召使いじゃないですから。
それにわたしが自らおやつを出していたはずですよ!2021年6月16日 23:42記
#共働き #子どもの頃 #子どもの頃の思い出 #鍵っ子 #母親が家にいないおうちの子
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