緑のフラグと黄のスター -2-
前回の記事。
社会人のデビューは大手町だった。これはこれで「大手町を闊歩するサラリーマンになりたい」という長年の夢(時代を感じるなぁ)が実ってよかったのだが、それは別の記事で。
さて、もちろん、大手町勤務だが住まいが大手町じゃない。最後は春日部から通っていたが、ドア・ツー・ドアで1時間ちょっとといったところだっただろうか。今の若い人には申し訳ないが、入社当時は毎日のように、先輩に連れられたり、同期と合コン(死語?)したりと、飲み歩いていた。大手町周辺はもちろん、歩いていける神田、大人の街銀座と、会社→飲み屋→自宅のルートだった。
相手によるが、結構行きつけのお店も多く、雑誌を見てお店を選ぶなんていう行為は合コンのときくらいだったか。当時も話題のお店みたいなのはあっただろうが、そんなものはいつでも行けるから、くらいに思っていた。なにせ、毎日のように会社に通っているのだから。
ところが事態は一転する。
2006年に退職し、次の職場はそれこそ春日部市内。歩いて5分の距離だ。
「おー、これで満員電車ともお別れだ!」
あの電車通勤の数年間はなんだったんだろう?つい最近まで、コロナ禍で沸き起こっていた議論である。
心身ともに、健全にならないわけがない。どれだけ、毎日の往復がボディブローのように健康を蝕んでいただろうか。あの時間と費用(財布の出どころはともかく)はなんだったんだろう。
でも、そんな生活を続けて1ヶ月くらい経つと気づいた。
あの、勝利の?方程式はどこ行った?
会社→飲み屋→自宅
歩いて5分の距離である。真ん中あたりに夢庵があるのが未だ奇跡だ。
5分で帰ることができる、ということは、5分で帰らざるを得ない、ということだ。
お客様との会食や知人との約束でもなければ、会社を出て、自宅をスルーして「ぶらっと」銀座まで、なんてことは起こり得ないのである。起こしてもいいけど、そんなこと繰り返していたら、自宅に入れてもらえる保証はない。
なんでもないようなことが、幸せだったんだなぁ
と、ハーモニカを取り出して歌い出しそうな勢いである。
せいぜい、雑誌(今では食べログか)でも見ながら、子どもに対して「お父さんの若いときから、この店はあって何度か利用したことがあるよ」と武勇伝にもならない昔話をするのが関の山か。
「いまを生きる」っていう映画のタイトル、もしくは流行語になった「今でしょう」じゃないが、「いつでも」という状態がずっと続くわけじゃないってこと。内部要因でいうと、転勤や転職、外部要因では閉店、移転等と、何が待っているかわからないのだから。
ってことで、金沢の街は好きだし、ずっといたいけと思うけど、だからこそ、今でしょ!
緑のフラグを黄色のスターに。
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