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加害性について

加害者を告発すると被害者ぶるし、依存症患者は本人が望まない限り治療できないし、向いてないことをやりたがる下手くそもおる。
加害も依存症だ。

習慣の全てはそれによって脳が心地良いか否かによって決められている。つまり、偉そうなことを言っていたとしても、大義名分役職立場がどうであれ、たった数キロの頭蓋に守られた弱々しい臓器の中、行ったり来たりする少量の分泌物によって決まるのだ。

法律の行き届かないアレコレについて、こっそりと自衛しなさいとしか言えなかった問題がSNSの発展により露見し始めてて、さぁどうする?と革靴の底で踏みつけられていた奴隷たちのパンドラの匣が開放された。
残るのは希望か、絶望か。
光なのか、闇なのか。


残念ながら、これは現実であり、理想ではない。
膝をついてステンドグラスの光を浴びたとしても、南無阿弥陀仏を唱えても、それだけで救われることなど無いのだ。
救いこそは行動にのみ宿る魂そのもの。
今日も祈りましょう、一歩ずつできるところから。

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