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イライラの根っこにあるものは

あなたは、もう!なんでいつもイライラしてしまうのだろう。

イライラしないで生きていきたい。

イライラしないための工夫を自分自身でしてみたけど、なかなかうまくいかない。こんな自分をコントロールできないときこそ、困ってしまうものです。

要するにイライラするのは、自分の中から生み出している感情です。

なぜなら人生の中で「どうしてあんなことが起こったんだ」という状況に対して、検証もせずに自分だったら「○○すべき」と自分自身を縛り上げ、その状況を何度も繰り返しては思い出し、イライラの感情を手放さなくなっているからです。

たとえば、コンサートに聴き入ってるときに誰かの携帯が鳴ったりすると

「どうして電源を切っておかないんだ!」

「いったいどういう神経をしてるんだ!」

とイラっとしますよね。

そして「大切なコンサートを台無しにされて」と思い、いつまでもイライラし続ける。

これは、イライラの生産を自ら続けているといえます。思い通りにいかなくてギャンギャン泣く子どもと一緒です。

これに対しイライラしない人は

「まったく仕方がないな」

「まあ本人がいちばん赤面しているだろ」

と思いイライラする感情を手放します。

今回は、イライラを手放せず、悩んでいるあなたにイライラの根っこを絶つには、どうすればいいのかについて解説します。

イライラはガマンすると膨張する

上記のコンサートの例では、簡単にいえば「イラっとする」のは外からの刺激に対して起こる自動的な反応。

「イライラする」のは、内から生み出される感情ということになります。

イラっとするのは、人間であるかぎり絶対に手放せない感情です。生き延びていくための反射神経のようなものなので、無理に手放す必要はありません。

いっぽう、イライラすることについては、選択の余地があります。

ここで間違っても、ガマンすればよいのだなという思いはやめてください。

なぜなら、ガマンして感情をコントロールできるようなものなら、誰だってイライラしません。

仮にガマンをしているうちに忘れてしまったり、他のことに注意が移って気持ちが切り替わったりすればいいのですが、イライラというのは、基本的に「困っている」ということ示す感情です。

たいていの人は、困っていることについてガマンをして、感情が膨張しコントロールできずイライラしたりオドオドしたりするからです。

ガマンは、かえって悪化するところに特徴があるのです。

イライラの根っこは「なんで?」

イライラの根っこは、現実を受け入れられないからイライラします。

なぜならイライラは、よく思い通りにならないときの感情と言われていますよね。でも誰だって、何でも思い通りならないことぐらいわかっている。そんなこともわからない人間だと思われているのか、と思うとイライラする。

そして思い通りにならない自分にもイライラする...という構造は誰にだってあるからです。

たとえば、彼女とドライブデートをしていた際に、渋滞に巻き込まれた時点でイラっとします。これは、外からの刺激に対して起こる自動的な反応。

「なんで」こんなときに、渋滞なんだよ!早く目的地に行きたいのにとイライラするのが内から生み出される感情です。

内からの生み出される感情の「なんで」に引っかかるとイライラします。

「なんで?」は、現実を受け入れられないときの感じ方。

「なんで現実はこんななの?」ということだからです。その根本にある思考は「現実はこうあるべきではない」というもの。

しかし、経過は人それぞれ。

「イライラし続けても渋滞が解消するわけではない」

「今自分にできることは、安全運転をこころがけることだ」

などと考えることによってイライラを手放している人もいます。

このような人は、「まあ、現実とはこんなもの」と受け入れているわけですが、それは、「なんで?」に対して自ら出した答えだとも言えますし「なんで?」という問いそのものを手放した、と見ることもできます。

いずれにしても「なんで?」から自由になっているのです。

不安があると「○○すべき」のエネルギーが強くなる

不安がイライラのエネルギーを供給するという側面もあります。

なぜなら、生活の中に心配ことがあって、それらの不安が解消しないことにイライラしているということもあるからです。

たとえば、仕事で「締め切りに間に合わなかったらどうしよう」、家庭の中で「子どもの人生がうまくいかなかったらどうしよう」という不安があるという状況です。

このような不安があると「○○すべき」と思いが強くなり「○○すべき」で現実を縛りたくなるのです。

自分をこれ以上不安にさせないために、物事はこの範囲におさまってほしいという願望が、強い「○○すべき」となるのです。

そして、その範囲に現実がおさまっていないと、とてもイライラしますし、他人にも押しつけがちになってしまいます。

つまり、「○○すべき」のエネルギーは不安が作ると言っても過言ではないのです。

イライラをまき散らしてしまったら

イライラによって人間関係でマイナスの影響を及ぼすこともあります。

たとえば全く関係のない他人に、自分のイライラをぶつけてしまうということもあるでしょう。あるいは、相手が自分をイライラさせた当事者であるとしても、必要以上にイライラしてしまって関係が悪くなることもあります。

できるだけ自分のイライラをまき散らさないよう、多くの人が自制していると思いますが、なかなか苦しいものです。

人間は完璧ではないので、不本意にイライラまき散らすときもあるでしょう。

では、どうしたらよいのかというと、イライラをまき散らしてしまったときこそチャンスです。

一般には気まずいなどと思われますが、とんでもないのです。

気まずいという思いは、他人を主役にしている感じ方。自分は他人からどう思われるかということを気にしているので、他人が主役という意味では被害にあったと同じ構造です。

このままでは、イライラの始末がうまくできないだけではなく、これからもずっと被害を受け続ける人生になってしまうでしょう。

では、主役になるには自分の問題は自分の問題として引き取るということ。

自分は困っていると認めて、本来困っているから助けてと頼むところを、被害にあったと陥り、イライラを周囲にぶつけるという不適切な行動に詫びるということなのです。

お詫びをすれば、あとはどういう反応しようと相手の自由です。

人間は、衝撃を受けるとそれなりの過程を乗り越えなければなりません。こちらのイライラをぶつけられた相手は、衝撃を受けたかもしれず、いくら謝られても感情的に受け入れるのにしばらく時間が必要であるかもしれません。

それを相手に必要な過程だなと考えて、尊重することができれば自分が主役になれるからです。

謝るのは相手に許してもらうためではなく、あくまでも「自分の問題は自分の問題として引き取る」ということに基づいて主体的な行動だと、考えればわかりやすいでしょう。

「べき」ではなく「したい」を大切にすれば強くなれる

考えてみたら当たり前のことですが「べき」で生きている人は寛大ではありません。そして「べき」で生きている人にとって、世の中は「受け入れられない」と感じるものばかりなので、それだけで生きていくというのはストレスも多くなるということです。

寛大な人は不安でコントロールしませんから、「したい」思いを大切にしているので、本当の意味での共感と協力を引き出すことができるでしょう。

また「べき」による不安で相手を消耗させるのではなく、相手が本来持ってる力を引き出しますから、その協力は持続可能なものとなります。

どんな現実に直面しても折れにくく、柔軟に対応でき、心からの協力を周囲から引き出し実質的な成果を上げられる人こそ、本当に強い人だと思います。

おわりに

本来あるべき状態と現実との違いに対して、コントロールできない感を持ったときに感情がイライラするのですが、本来あるべき状態を現実に合ったものに再設定することによって、コントロールできる範囲が広がり、事態を自分の思い通りに改善できるということにもつながります。

「べき」を手放したほうが結果として自分の望みを実現できるのです。

それでは、また。

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