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氷室京介35周年ファイナルイベント~②ギャラリー編<前編>~

KING SWING GALLERY
日程:2024年7月16日(火)〜21日(日)
会場:ギャルリー・パリ
主催:OFFICIAL FAN CLUB KING SWING

HIMURO.COM 「NEWS」 05/23/2024 より

「氷室京介の写真展示をはじめ、衣装や貴重な史料を展示、特別映像や音声をご紹介します」と告知されていたこのイベントは、30分刻みの定員入場制で行われた。とはいえ、30分ごとの入れ替え制ではなく、滞在時間の制限はないため、じっくり長く見ていたい人はかなり長時間滞在することも可能であった。

還暦の年にグランフロント大阪で行われた「氷室京介展LX」と比較すると、会場規模はかなり小さい。しかしながら、一つひとつの展示をじっくり見たり、悩みつつ氷室氏へのメッセージをノートに書いたりしていると、あっという間に時は過ぎるもの。結局私は1時間近くいたのかな?自分でも流石に居すぎだろと思いきや、友人知人の話を聞いたら、上には上がいましたとさ。
兎にも角にも「氷室京介」に満ちあふれた素敵な空間で、幸せな一時を過ごして参りました。

なお、ここから先は、私の私情に塗れた備忘録となります。
展示内容についてはあくまでも私の記憶を頼りに書いておりますので、もしかしたら多少事実と異なることがあるかもしれません。(最近記憶力の低下が著しい……泣)
ですので、実際には展覧会に行っていない方がこれを読んであたかも見てきたが如く語ることはおやめください。
写真についても転載はご遠慮いただきますよう、お願いいたします。
また、閉廊後であってもネタバレを見たくない方、他人の感想に左右されずに実際に自分の感じたことを大事にしたい方も、これ以上はお進みにはならないでください。
以上、お願いでした。


【展示内容】

「KING SWING GALLERY」の展示内容は以下の通り。

  1. 「氷室京介」の手型(手合わせ可能)(撮影可)

  2. 「氷室京介」の写真&マスク

  3. 「氷室京介」の肉声

  4. ツアーで使用した拡声器

  5. リハーサルやステージで長年使用してきたハイチェア(撮影可)

  6. ステージの象徴であるモニターカバー(通称”コロガシ”)(撮影可)

  7. (展示ではないが)「氷室京介」へのメッセージノート「Message for KYOSUKE HIMURO」(4冊)

  8. 「氷室京介」直筆作詞ノート

  9. ツアー衣装

  10. MVで使用された「氷室京介」私物ギター

  11. 1988年4月、「LAST GIGS」直後に訪れたロンドンでの写真

  12. 「氷室京介」自身が撮影した写真

※抜けがありましたらご容赦を。なお、ディフューザーは展示物とは考えておりません。
※順番は、私が見た順です。

0.入場

開場時間の少し前になると係員が出てきて整理番号順の整列が始まった。
その際、リストバンド(回ごとに色が違う模様)を渡されるので、それを腕に装着しながら、係員の諸注意を聞く。
時間になり入場するとまず、記念カード2枚とうちわと軽井沢での展覧会の告知フライヤーが入った手提げバッグ(?)(に加え、平日来場者にはステッカー)が係員から手渡された。

「あれ?告知されていた特製クリアファイルはどこ……?」と困惑しながらバッグをよくよく見るとうっすらと切り取り線が見える。どうやら来場特典が入ったこのバッグ、切り取ればクリアファイルになる仕様の模様。何と画期的な!
時代は進んでいるのですねぇ。

そしていざ、「氷室京介」に満ち溢れた空間へ。

1.「氷室京介」の手型

会場入口でファンを出迎えてくれるのは、氷室氏の手型とご挨拶文。
早速、手型に手を合わせたくなるが、「人が滞留して入場に支障を来しますので、手を合わせるのは後ほどでお願いいたします」とのご案内に従い、一通り見終わった後に合わせて参りました。
おててのしわとしわをあわせて、しあわせ~(違)。
ついでに手を合わせた写真も撮影!!
この手がマイクを握り、ギターをつま弾いたのかと思うと、感激も一入。

手型とご挨拶

2.「氷室京介」の写真&マスク

手型を横目に真っ直ぐ進むと右及び正面の壁一面に飾られた氷室氏の御写真。シングルやアルバムのジャケットに使われた写真を中心に30点ほど。
その写真に混じって、”KING OF ROCK SHOW”で(偽)氷室ダンサーが着用したマスクと同公演を記録した映像作品のジャケットで使用されたマスクも飾られていた。
「これはあの時の……」と感慨にふけりながら、一つ一つを丁寧に鑑賞する。
ジャケット写真に混じってそれ以外の写真も何点かあったが、選出基準は何なんだろう?いつどこに使われていたものかはわかるし、格好良いし、印象的な写真だけど、どうしてそれが選ばれたのかが謎。

3.「氷室京介」の肉声

写真を鑑賞していると、穏やかなトーンの話し声が聞こえてくる。聞き覚えのあるその声の発生源は、写真展示コーナーの中央付近に設置された透明ケースのあたり。
近づいて覗き込むと、2014年に発行された「氷室京介ぴあ」の40,000字インタビューページ(の一部)がそこにあった。

開かれていたのは、BOOWY解散直後、ソロデビュー前夜のことを語っていたページである。
ぴあに掲載された活字とともに、実際に彼がインタビューにこたえていた肉声(の一部)が公開されていたのだ。

時間にして約20分(と解説文に書いてあった)。
落ち着いたその語り口は、ステージ上での帝王然とした姿とはまた別の一面を見せてくれていた。
活字にする都合上カットされた言葉や感嘆詞、肉声だからこそ伝わる細かなニュアンス……そういったものがわかって良かった。
彼の肉声を聞きながら活字にされたその言葉たちを追っていくと、印象が変わってくる。
叶うことならば全文を公開していただきたかったけれど、2ページちょっとだけでも所要時間20分となると、到底時間が足りないのでしょうね。
昔あったKING SWING MEMBERS”REAL VOICE REACTOR"のように、ファンクラブ会員限定公開でもいいから全文公開していただけないものか。でもそうすると、すぐにYouTubeなどにアップする人が出てきてしまうかな……。そういうことをやる人に限って、自身は宣伝・布教活動をしている『つもり』だったりするんだよなぁ。
昔の動画にお世話になったことがある私が言えた義理ではないけれども(一応言い訳させていただくなら、公式から販売されているものは全て購入済)、公開・発売からあまり間を置かずにアップするのはさすがに営業妨害ではないかと。「どうせすぐアップしてくれる人がいるから」と公式に金を落とさない人を増産しているだけだと私は思うので。時間を置いたからといって権利侵害の違法性が阻却されるわけではないとはいえ、せめて、ね……。

なお、氷室氏が質問を読み上げてそれに自身が答える形式だったのだが、もしかしてこのインタビューは氷室氏に質問をデータで送って、それに答えてもらう方式だったのだろうか。
ぴあには「Text:ふくりゅう」と掲載されていたので、てっきりふくりゅう氏がL.A.まで飛んで氷室氏へ直接インタビューしたのだとずっと思っていた。放火事件から間がない時期に行われたものだから仕方が無いのかな……。でも、だったら、いつものように田家氏に書いてもらいたかったな、と今更ながらに思ってしまった。個人的に、田家氏の文体が好きなので。
田家氏の書いた文章なら、最初の1行を読めばわかる。1行は大袈裟だとしても、最低3行読めばわかる。
田家氏に限らず、佐伯氏、水村氏、関氏、星野氏等々、好き嫌いは別として、昔は記名性の高い文章を書くライターさんがゴロゴロいらっしゃった。そういう時代なのだろうが、今は読んでも誰の文章なのかわかりにくく、文体に匂いを感じられるライターさんが少なくなっていて残念。田家氏には是非長生きしていただきたい。
とはいえ、昔は良かった的なことを言い出したら歳をとった証拠。私も最近の音楽記事や批評を読む機会がめっきり減ってしまって、読み込みが足りないという事情もあるから、的外れだったら申し訳ない。

ところで、この”ふくりゅう”氏、BOOWY絡みの記事の執筆者としてよくお見かけするけど、BOOWYの20周年アニバーサリープロジェクトに関わっていた”福島龍太郎”氏っていうことでよろしいのかしら。この辺りの界隈に詳しくないので、よくわかりませぬ。

4.拡声器

写真展示コーナーが終わったところの展示ケースに鎮座ましますのは、拡声器。「KYOSUKE HIMURO TOUR 2007 “IN THE MOOD"」で披露されたカバー曲、AFIの「Miss Murder」歌唱時に使用されたもの。あと確かピリ辛ロンリー「Say something」でも!
「Miss Murder」のカバー、本当に格好良かったよなぁ。氷室氏が歌うとあんなにも甘く艶っぽくなるんだと思った。オリジナルとはまた違う良さがあった。
「Miss Murder」にしろ「Pain」にしろ、御大がカバーした洋楽を聴くたびに、「氷室京介」というミュージシャンは極めて優れた洋楽の紹介者であり、翻訳者でもあると感じる。(偉そうに言ってすみません。)
だからこそ、一部の意識高い系勘違い洋楽オタクや自尊心肥大の自称音楽通から下に見られたりするのかなと思ったり。

5.ハイチェア&6.コロガシ

ここは会場内唯一の撮影可能なフォトスポット。
ハイチェアは、2008年の「20th ANNIVERSARY TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL~PRESENT-」のアンコール、「魂を抱いてくれ」の弾き語りの際に使用されていたものと言えばわかりやすいだろうか。
実際、背後に飾られていたのは、そのツアーの時の写真だった。

コロガシはいつの時代ものかは不明。
ただ、長年愛用されていたのがよくわかるくらい傷だらけだった。
それは、氷室氏とともに闘ってきた証でもある。
角はかなり鋭角に尖っており、これに胸を強く打ち付けたのなら、肋骨の1本や2本や3本は逝ってしまうのは当たり前。

それはそれとして、皆さん思い思いにコロガシに足を掛けてポーズを取ったり、椅子に座ったりと満喫されていた。写真撮影も可能だったので、私もまんまと記念写真を撮りました。でもイマイチ決まらないのは被写体のせい(苦笑)。氷室氏だとあんなに決まるのに。
お一人様来場者も結構いらっしゃったが、係員が積極的に声かけして撮ってさしあげていたのは良かったと思う。皆さん良い記念になったのではないかな。

コロガシ&ハイチェア

7.「Message for KYOSUKE HIMURO」

フォトスポットの隣の窓辺にあったのが、「氷室京介」へのメッセージノート。左右の窓辺に2冊ずつ。
多くのファンが「彼」を案じていた。逢いたいと願っていた。そして、待っている、と。

ギャラリー閉廊から4日後の2024年7月25日、この4冊のノートが氷室氏の手元に届けられたことを公式が発表した。

『KING SWING GALLERY』でご来場いただいた皆さまに、沢山の想いを綴っていただいた4冊の「Message for KYOSUKE HIMURO」ノートですが、本日氷室の手元に届いたことをご報告させていただきます

(HIMURO.COM公式X 午後4:55 · 2024年7月25日)

良かった!生きてた!!
……ではなくて。

閉廊してすぐに御大のもとへと送っていただいたことに感謝。
できることなら、そこに綴られていたファンの「氷室京介」への想いも、彼に届くといい。
そう思った。

8.「氷室京介」直筆作詞ノート

左右の窓の中央の壁面に飾られていたのが、額装された2曲の「直筆作詞ノート」。
右側には「MEMORY」
左側には「季節が君だけを変える」
いずれもBOOWY時代――バンド解散前夜――に、彼が書いた詞であった。

見て最初に感じたのは、「綺麗な字だな」ということ。
繊細で生真面目そうな、几帳面さが滲み出る筆跡で詞が綴られていた。彼のきっちりした一面が表れている。

「MEMORY」は所々、朱筆で加筆修正されており、完成形に至るまでの推敲の跡を窺わせる。
他方、「季節が君だけを変える」は修正は1箇所のみ(だったと記憶している)。字もほとんど乱れておらず、最初から最後まで一定の力強さでもって丁寧に文字が書き連ねられていた。「MEMORY」が試行錯誤を重ねながら完成を目指す「下書き」だとするなら、「季節~」はまるで「清書」のよう。
だが、我々が知る「季節~」の詞とは若干異なる。”これ”が書かれた後に「MEMORY」のように加筆修正されたものが存在するのだろうか。
また、右下に小さく書かれた括弧書きは、これが書かれたときの原題だったのだろうか。

どこがどう変わったのか、元々はどうだったのか、その詳細については、ここには記さない。というのは、ここにその詳細を書いたとて、誰も(公式以外は)その真偽を検証できないからだ。

私は、この2曲の歌詞を、私の持つ最大限の記憶力を総動員して、心の網膜に焼き付けてきた。
とはいえ、記憶力の劣化を感じつつある今日この頃。そんなお年頃の私の脳内メモリーが一言一句違わず記憶しているかというと、正直あまり自信が無いわけで。「こうだったはず」とまでは言えても、「絶対に、100%間違いない」と断言できるまでには至らない。
実際、Wikipediaの「季節が君だけを変える」のページにて、氷室氏直筆の原稿と実際に発表された歌詞とで違っていたのは「3行ほど」とあるが、私の記憶が確かならば、確かに3行は明らかに違っていたが、1文字レベルであれば異なる箇所は他にいくつもあった。

そして歌詞というものは、「てにをは」が一つ違うだけで、ニュアンスが変わってくる。あるセンテンスが入るか入らないか、或いはどこに入るかで、意味合いも違ってくる。修正「前」と「後」では感じ方が違う。
事実、リリースされた歌詞よりもこちらに展示されていた「原型」の方が(私は)より切なく感じた。

たった1文字の違いであっても印象を大きく左右するという性質なればこそ、絶対的な正確性が担保できないのであれば、発信すべきではない。記憶違いや思い込みを自信満々に発信する人と、それをろくに精査もせずに拡散する人によって、いつの間にかさも事実であるかのように語られるようになってしまう世の中だからこそ。誰もそれが正しいと証明できないのであればなおのこと。
原詞は、あの場に足を運んで現物を目にした方々の心のメモリーに収められているだけでいい。現物を見て感じたことがその人にとっての真実。
そう考えるから。

なお、歌詞の変更点についての詳細ではなく、「作詞ノート」そのものの感想、というか、”それ”を見て膨らませた私の妄想については、<後編>にて。
筆の赴くままに書き進めていったら、その部分だけで1万字を超えたという。(何故!!)
いやもう、自分でもびっくり。なんでそんなに書くことがあるのかと。(それは気を抜くとすぐに脱線するから。)
さすがにもう少し短くするつもりです。

9.ツアー衣装

展示されていたのは以下の3着(だったはず。間違ってたらごめんなさい)。

①「TOUR 2000 ”BEAT HAZE ODYSSEY”」での着用ジャケット
②「15th Anniversary Special LIVE "Case of HIMURO"」と「TOUR 2003 ”HIGHER THAN HEAVEN”」で着用したヒラヒラシャツとジャケット
③「TOUR2010-11 BORDERLESS "50×50 ROCK' N' ROLL SUICIDE"」の撮影用衣装であり、且つ、「COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 12-13」の衣装候補だったというジャケット

色はいずれも安定の黒系統。

①と②は非常に見覚えがある。③も着用した写真を見たことがある。
③はとても格好良いので、ライブで着用した姿を見れなかったのは残念。ただ、とても重そう。……だから採用されなかったのかな(笑)。

①は、渡米してスタッフもサポメンもほぼ一新して臨んだ、ポリドール時代最後のツアー、②は、東芝EMI再移籍後初めての大規模アニバーサリーライブ&ファイナルに”涙のCLOUDY HEART”のあったツアー、③は、ワーナー移籍前の、50歳という天命の年に行われ、現時点で最後に出されたオリジナルアルバムを受けてのツアーの衣装。ある意味、心機一転となったライブの衣装が展示されていた。
ツアー衣装の展示があるとの前情報を聞いた時は、フィルコンに合わせて25周年の時のツアー衣装が展示されるのだろうと予想していたが、見事に外れ(苦笑)。
これらの衣装が選ばれたのにも、きっと何か意味があるのだろう。
知らんけど。

10.「氷室京介」私物ギター

衣装の隣に展示されていたのは、「HEAT」のMVで使用されていた氷室氏の私物ギター。
衣装とギターの上部には、映像モニターが設置され、常時MVが流れており、タイミングよく「HEAT」のMVが流れたので、見比べながら鑑賞させていただいた。
この時からもう25年以上も経つのかぁ……と暫し感慨にふける。

11.「LAST GIGS」直後に訪れたロンドンでの写真

見たことがある写真もあれば、見たことがない写真もあり。
これは何点展示されていたか忘れました……。「これ」とか「あれ」とかいくつか覚えている写真はあるけど、全体の記憶は曖昧。
というのは、1点、非常に印象深い写真があって、それが強烈な記憶となって焼き付き、他の写真の印象が薄れてしまったから。

それは、氷室氏を囲むように、土屋氏とゾンビ氏が一緒に写っていたもの。穏やかに微笑む氷室氏を中央に、(氷室氏の)右隣に土屋氏、左隣にゾンビ氏が立つ写真。
日付入りということは、これだけプライベートショットだったのかな。

この写真のちょうど1年前にも氷室氏はロンドンに滞在していた。解散が決定的になったツアーを終えた2か月半のオフで。
そのロンドンでのオフの間に、BOOWYのラストアルバムの曲作りを行い、その後、今回展示されていた「MEMORY」や「季節が君だけを変える」などの歌詞が生まれていった。

「PSYCHOPATH」「CASE OF BOOWY」「1224」「LAST GIGS」……BOOWYとしてのケジメをつけて、再び立ったロンドンの地。今度は、BOOWYのメンバーとしてではなく、1人で。ソロデビューを控えたミュージシャンとして。
撮影されたのは、LAST GIGSから1週間も経っていない。解散のゴタゴタから漸く解放されたものの、不安も沢山抱えていた時期だろう。
肉声で披露されていたインタビューでもこう仰っていた。

ロンドンで借りた”ガラーン”とした家具もない冷たい部屋の中で楽器をいじりながら「ああ、これから俺はソロになって自分でひとりでやっていくんだな……」と非常に心細い気持ちを改めて痛感したのをよく覚えています。

「氷室京介ぴあ」P12

そんな「これから」に対する心細さを感じながらも、自分を支えてくれる信頼できる仲間を隣に置き、穏やかに微笑むその姿を見て、上手く言えないけど、「良かったなぁ……」と思った。

12.「氷室京介」自身が撮影した写真

「『LAST GIG』直後に訪れたロンドンでの写真」の隣には、2001年に氷室氏自身が撮影した写真が展示されていた。6点、だったかな……?6点まではどんな写真だったかを思い出せるので、少なくとも6点はあった、はず。
なお、8点という説もあるので、2点は私が忘れてしまったのかも(苦笑)。

当時のファンクラブ会報に掲載されていて見たことがある写真と、見た覚えがない写真。
この時の会報誌の表紙に「氷室京介が歌わない時」と大きく書かれていたことを思い出して、思わず苦笑い。
なお、この時の会報誌に掲載されていた氷室氏のインタビューやカメラマンの加藤氏のインタビューはなかなか興味深いので、機会があったらお読みになることをお勧めする。

【総評】

入場した際には想像以上の会場の狭さに驚いたが、非常にコンパクトにまとめられていて、見応えがあった。
入場時間指定制だったので、混雑しすぎで展示が見にくいといったこともなく、自分のペースで見て回れた。

本当はフィルコンの間隙を縫って21日に観に行きたかったのだが、抽選にまんまと外れ(苦笑)、別日に鑑賞させていただいた。
「チケットをご用意することができませんでした」メールを受け取った時はがっかりしたけれど、気持ちを切り替え、その日はフィルコン開場前に、会場の近くにある「横浜ビール本店レストラン『UMAYA』」にて、コラボメニューを堪能した。
氷室ファンが押し寄せて、レストラン側は大変だったと思うが、スタッフの皆さんは笑顔でとても感じよく、BGMも氷室氏の楽曲ばかりで、終始気持ち良く過ごさせていただいた。コラボメニュー以外で飲んでみたいビールがあったので、今度近くに伺った際は、寄らせていただきたいと思う。

指定されていたのは入場時間のみで、滞在時間の制限はなかったため、じっくり見たい人は時間に追われずにゆっくりできたのもポイントが高い。
もし21日のチケットが当選していたら、時間が気になって忙しない鑑賞となったと思うので、外れてかえって良かったのかも。(負け惜しみも多少入っている。笑)
また、入場時間指定制を採ることで混雑が閑話・分散され、鑑賞の際のストレスが少なかった。

大阪での「氷室京介展LX」で発生した窃盗事件の影響で、警備が厳しくなって展示物を至近距離で見れなくなってしまうのではないかと危惧していたが、決してそんなことはなかった。
また、会場が狭かったからこそ、スタッフの目が行き届いていた。
そういう意味では、ファンにストレスを与えずにセキュリティを向上させていたと思う。

ただ、ロザリオのような小物アクセサリー類の展示がなかったのは、窃盗事件が影響していたのかもしれないなと思った。
ロザリオや指輪など、彼がツアーで着用したアクセサリー類は、以前、目にする機会を得たことがある。その時至近距離で拝見したアクセサリーは、思っていた以上に傷だらけで、そういう「傷」に萌える性癖を持つ私としては、再び相まみえる機会を楽しみにしていたので、展示がなかったことは無念だった。
本当にあの窃盗事件はなぁ……。
約束のアルバムの制作に入っていたが、コロナ禍で一時中断を余儀なくされて、それでも「もう一度心を奮い立たせて」再び制作が進められていた中で起きたあの窃盗事件。未だに氷室氏の音沙汰がないのは、氷室氏自身の拘りの強さもさることながら、この窃盗事件で「奮い立たせた心」を折られたことも大きいのではないかと個人的には考えているので、本当にこの事件は腹立たしい。八つ当たりだということは十分わかっているが、事件が起きた大阪に対する印象もダダ下がりとなった。(放火事件当時に、大阪在住の布袋ファン兼BOOWYファンがはしゃいだ投稿をTwitter(当時)に繰り返していたせいで、大阪人への好感度が元々低くなりかけていた影響も大きいのだが。)

「氷室京介展LX」の東京巡回展はコロナ禍で見送られたが、このような展示会を「東京のような横浜」(氷室氏にとっては横浜も幕張もさいたまも東京扱い)で開催していただいたことには感謝したい。
なお、チケットは全て電子チケットで、且つ、入場時間ごとに色違いのリストバンドを着用させることで、仮に何か事件が起きたとしても、身元の特定が容易になっていたと思う。(窃盗事件の犯人が特定できない言い訳が「みんな黒っぽい服を着ていてわからない」だった。盗めるくらいなのだから、そんなに混雑していた状況で起きたとは考えにくいし、防犯カメラにも映っていたということなので、本気になれば特定できないということはないと素人考えでは思うのだが。殺人などの重大事件でないとこんなものなのかな。放火事件も事件直前に犯人に警官が職務質問していて、警官が立ち去った直後にガソリンを撒いて火を点けたという新聞報道もあったし(ネットニュースは即消しされたけど)、本当にもうちょっと警察には頑張ってほしいと感じる今日この頃。)

今回のギャラリーは、大々的な宣伝はなかった。
氷室氏の公式ホームページや公式X、公式Instagramなどで告知はあったけれど、それ以外は記憶にない。(読売新聞社などが主催していた「氷室京介展LX」と比較してはいけないのだろうが。)
見終わって思うと、それがかえって良かったように思う。今回のギャラリーは、氷室ファンファーストだったな、と。

まず、チケット発売自体が、ファンクラブ会員3次先行抽選受付を終えてからの一般発売。当然、土日などの人気日はファンクラブ先行受付時点で完売。(但し、開廊後の状況を見て、若干数の追加販売はあった。)

今回の展示会は会場が狭いだけあって、入場人数が非常に限られていた。そのため、一般販売用にも予め席を確保しておくのではなく、ファンクラブ会員で売り切った残りの日時だけを一般発売に回したのは個人的には◎

また、氷室氏の直筆作詞ノートの展示は予め告知されていたが、「どの曲」を展示するかは明らかになっていおらず、最後まで何の曲かは発表されなかったことは、良かったと思う。展示内容を小出しに発表する手法を好まず、ネタバレ上等な私でも、これは大歓迎。
ギャラリーを観に行った方の多くも、(ゼロではないとはいえ)閉廊するまでは詳細についてのネタバレを自重されていた。

で、何故良かったのかだが、展示されるのが「MEMORY」と「季節が君だけを変える」だと予めわかっていると、「BOOWYに『しか』興味がない人」までも押し寄せる危険性が懸念されるからだ。

念のために申し上げると、私はBOOWYは好きだ。大好きだ。
それこそnoteにBOOWYにまつわるあれこれを書くくらいには愛している。
だけど、「BOOWYに『しか』興味がない人」に辟易させられることがこれまで何度もあった。
私はこれまで氷室氏のライブやイベントのいくつかに参加してきたのだが……「BOOWYに『しか』興味がない」方々(とりわけ俗に布袋派と称されるBOOWYファン)が氷室氏の「現場」にいらっしゃると、総じてマナーがあまりよろしくないというか。但しそう感じるのは私の主観なので、御本人方は御自分の行動や言動が他人からドン引きされているとは思ってもいないだろう。むしろ無意識&無自覚でそうするのが当然と考え、みんなも御自分と同じだと考えているようにお見受けする。
傍から見ていると、「氷室京介」自身にはリスペクトが感じられないのに、そういった方々の自認は「BOOWYも氷室京介も大ファン」或いは「布袋派ではあるが氷室京介も好きな兼オタ」だったりするのがまた厄介でして。

価値観の相違というのは如何ともしがたいものだし、「氷室京介」がBOOWYのリーダーでありフロントでもあった以上、そういったリスクは織り込み済みとはいえ、できることならそういった方々(が場を荒らすところ)に遭遇したくはないのが本音。

もっとも、少なくとも「季節が~」は大阪の「氷室京介展LX」でも展示されていたとのことなので、絶対に何が何でも見たい勢は閲覧済みだろう。そういった意味では、私の懸念は杞憂だったのかもしれない。それでも折角の目出度い「Birth of ANGEL」関連イベントを楽しんでいる時に水を差されたくないから、棲み分けできるのであればそうしたい。

「MEMORY」と「季節が君だけを変える」の直筆作詞ノートだと公表してからチケットを発売した方が、氷室氏のファンに加えてBOOWYのファンも見込める。だから、ビジネス的にはそうした方がよかったと思う。それでも、私としてはそうしてくれなくて助かった。
とはいえ、仮に発表していたとしても、土日はファンクラブ会員先行受付で売り切れていたことから、「BOOWYにしか用がない人々」が来ることができたかどうかは微妙ではある。だが、そういった方々に限って「折角自分が行ってやろうというのに行けないとは何事だ!」と上から目線でいちゃもんを付けてきたりすることもあるので。(昔、東日本大震災復興支援チャリティライブのファンクラブ会員先行受付の際、(その時点でファンクラブに入ればまだ申し込めたのに)布袋氏関連の投稿ばかりで氷室氏関連は直近に一つもない人が「私は事情があってファンクラブに入っていなかったけど、氷室京介の大ファンだ。そんな私が申し込めないのはおかしい!」と堂々と言いがかりを付けていて、呆れてものも言えない状態になったなぁ……。)

最後に、今回の展示で私が感じた印象を。
一言で表すなら、「夜明け前」だった。
そう感じた主な理由は、
①直筆作詞ノートが、「MEMORY」と「季節が君だけを変える」の2曲だったこと
②「LAST GIGS」直後に訪れたロンドンでの写真が展示されていたこと
③肉声披露がソロデビュー前後の話であったこと
の3点から。

BOOWYの終焉を象徴する2曲と。
BOOWYのケジメを付けて「氷室京介」となるために旅立ったロンドンの写真と。
その時期を振りかえる肉声と。
いずれも「氷室京介」ソロデビュー前夜を具現化したシンボリックな展示。

7月1日に、ファンクラブの会報誌が来春以降休刊すると発表されたばかり。私は毎号結構楽しく拝読させていただいているとはいえ、さすがに現状ではネタも尽きているだろうし、何か「お知らせ」があっても、スマホやPCの所有率の高さから、ネットを介して発表した方が迅速かつ平等に伝えられる。(郵便事情により、情報解禁後に会報誌が手元に届くこともしばしば、プラス、先に届いた会員がネットに情報を流してしまうため、会報誌で会員に先に情報提供する機能が失われているから。)
御本人の稼働は「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」以降なく、還暦イヤーもコロナ禍で祝賀ムードも自粛傾向、イベントもそんなに多くはないとなると、多分会員数も減っていて採算が取れないのではないかとも思う。
だから、会報誌の休刊は、理性の上では理解できる。できるけれども、残念だな、休止してほしくないな、と想う気持ちはどうしたってある。ついでに言うなら、僅か数行の氷室氏やBOOWYに関する記述のために掲載誌を購入してしまう私としては、全ページ氷室氏関連な会報誌ほどコスパの良いものがないということもある。会報誌がなくなったら、ファンクラブはどうなるのだろうという不安もある。

It's always darkest before the dawn.

今回の展示を見終わって、この言葉がふと脳裏に浮かんだ。
今はファンにとって暗黒期とも言えるのかもしれないけれど、夜明け前が一番闇が深いとも言う。
実際のところ、いつ夜が明けるのか、本当に朝が来るのかは御大のみぞ知るところではあるのだが。(苦笑)

でも、ここまできたら、そう簡単に好きではなくなることはないのだろうし。仮にそうなっても、氷室氏の音楽を好きになった事実は変わらない。
ならばこれまでと変わらないスタンスで日々を過ごしていればいいのだと思う。
聴きたくなったら楽曲を聴き、観たくなったらライブ映像を観て、疑問に思ったことがあったら調べて。新譜を待ちながら。偶にもたらされる氷室氏の消息に安堵しながら。これまで通りに、いつも通りに。

ただ、できれば、年に1回くらいは今回のフィルコンのような参加型のイベントを開催していただければ嬉しい。一人で楽しむのもいいが、時々はみんなで盛り上がりたいから。
ギャラリー的なものもあればなお良し!
今回のメッセージノートの受け取り報告のように、御本人の消息がわかるようなお知らせが適宜あればさらに良し!!

※作詞ノートに関する妄想大爆発は<後編>にて。

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