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BOOWYゆかりの(跡)地を訪ねてみた。【高崎市街編〔後編〕】

本当なら、高崎市福祉会館で行われた「TAKASAKI ROCK FESTIVAL」の開催日に合わせた12月18日に公開予定だったこの話。12月は何かと忙しなくて時間が取れず、間に合いませんでした。新年1発目が超個人的備忘録なコレというのもどうかと思ったのですが、折角書き上げたので。
途中まで書いて中断している話は他にもいくつかあるので、今年こそそれを完結させたい!! けど、また何か別に書きたくなったものが出てきたら、そっちを優先させてしまうかも。今ちょっと『Q.E.D』の感想を書きたくなっているんですよね……(小声)。ただでさえニッチな私のnote、なのに私のただの感想なんぞ一体どこに需要があるのかっていう話なんですが。
まあ、そんな感じで、今年も「書きたい時に書きたいものを」の精神で緩~くやっていきたいと思っておりますので、お付き合いいただけるかたは、何卒よろしくお願い申し上げます。

では、お待たせいたしました。高崎市街BOOWYゆかりの(跡)地探訪記【後編】をお送りいたします。
なお、【前編】はこちら↓から。



【高崎市福祉会館】

田町交差点から暫し歩くと、「拝啓ボウイ様」の会場である「高崎市もてなし広場」に到着した。ここは、メンバーが高崎にいた頃に市庁舎があった場所だ。
が、コピバンによるBOOWY楽曲の演奏(結構爆音)を横目に、会場を突っ切って辿り着いたのは「もてなし広場」の西側、高崎市地域医療センター
しかし今度の目的地はそこではない。そのにある「高崎市福祉会館」(跡)である。

公式によると、1983年12月18日にこちらで行われた「TAKASAKI ROCK FESTIVAL」にBOOWYがゲスト出演したとのこと。
なお、Wikipediaには「※パブゴールドとも」との記載があるが、「TAKASAKI ROCK FESTIVAL」のポスターに「12月18日(日) 12:30開場 高崎市福祉会館(医療センター裏)」とあるので、ポスターの情報を採用させていただく。(時代が時代なので、ポスター製作後に会場変更があった可能性も否めないが、パブゴールドでやったと断定できるだけの証拠が見つからなかったため。)

今回訪れた「ゆかりの地」の中で、一番やっかいだったのが実はここ。
場所の特定自体はそれほど難しくないのだが、特定に至るヒントの数々に悉くが潜んでおりましてね(苦笑)。

まず、「高崎市福祉会館」をネットで検索すると上位にヒットするのが高崎市のページ
「高崎市福祉会館」と名付けられたそのページにあった「施設一覧」。
一目見てわかる。この一覧に掲載されている6施設は、いずれも私の探している「高崎市福祉会館」ではないと。(住所的に)

でも大丈夫。「TAKASAKI ROCK FESTIVAL」のポスターには、高崎市福祉会館は「医療センター裏」にあると書かれていた。ならば、医療センターを探せばいい。
そうして「高崎市 医療センター」と検索画面に入力したところ、表示されたのは「高崎総合医療センター」。正式名称「国立病院機構高崎総合医療センター」すなわち、旧国立高崎病院
……いや、当時「国立高崎病院」という名称なのに、「医療センター」と呼称しないだろう。「医療センター」を「病院」と呼ぶならまだしも。
この時点で「あ、これネットですぐ答えが出てくる系じゃないやつ」と察したので、別のアプローチで調べることにした。

そうして昔の高崎市の刊行物で「医師会の医療センター」という一文を見つけた。つまり市ではなく医師会の施設ということか?
高崎市医師会は、当時、高崎・地域医療センター内にあったという。
「地域医療センター」で思い出したのは、先述の「高崎ロック史」のこの一節

75年、当時の高崎市庁舎の東側に高崎地域医療センターが開館すると4階ホールで、若者や高校生がコンサートや映画の自主上映会、演劇などを行った。(※2 P10)

成程。当時の高崎市庁舎、すなわち今回のイベント会場である「もてなし広場」の東側にあったのね、と探すも該当施設が見当たらず。
外したか?と思いつつ念のためGoogle先生にも伺うと、現・地域医療センターは「もてなし広場」の西側にあるとのお答えが。
「も、もしかしたら移転したのかもしれないし……」と気を取り直して別の資料も漁ってみると、現在と同様に当時も、地域医療センターがあったのは旧市庁舎の西側であることが確認できた。
………校正ェエ!!

そしてそのさらに西側、旧市庁舎側から見ると地域医療センターの裏側に、高崎市福祉会館があった。
福祉会館は老朽化が進み、現在の耐震基準に適合しなくなったことから、10年以上も前に取り壊されている。現在は駐車場だ。
現地に行く前は、「BOOWYゆかりの(跡)地だし、『もてなし広場』にも近いのだから、どうせならサテライト会場としてこちらも利用すればいいのに」と無責任にも思っていたのだが、実際行ってみると想像以上に狭い。キャパやら動線やら警備やら騒音やらの諸問題に鑑みると、そう簡単な話ではないのだろう。

実は、福祉会館の西隣に地域医療センターがある、と書かれている資料もあった。つまり、地域医療センターの東側が福祉会館だと。
が、その資料に掲載されていた昔の福祉会館の写真と見比べてみても、現地で見た背景の建物や手前の樹木等の感じがそっくりなので、私としては、高崎市福祉会館(跡)は地域医療センターの西隣のこちらだと判断させていただきたい。
「当時の高崎市庁舎の東側に高崎地域医療センター」といい、「福祉会館の西隣に高崎地域医療センター」といい、グンマー帝国ではまさか東と西が逆ではないですよね……?

そんな冗談はさておき、高崎市福祉会館のどこで「TAKASAKI ROCK FESTIVAL」が行われたのだろうか。福祉会館は名前の通り福祉系の団体が複数入居する公共施設。畑違いすぎる。
3階に大会議室はあったみたいだけど……といくつかの資料にあたったところ、古い古い資料に一つだけ「3階 ホール」と書いてあるものがあった。
もしかして、古い公共施設にありがちな、普段は大会議室として利用しているけれど、長机とパイプ椅子を撤去したらホールに早変わり系な場所だったのかも。良く言えば多目的ホール的な?
YouTubeにアップされていた「1983/12/18 高崎福祉会館」のBOOWYライブ映像とされる動画を見ても、ステージと観客の間に境があるんだかないんだか。一瞬映った天井に元々ついているのも蛍光灯っぽい?ドラムセットの後ろの壁にあるのはもしかして黒板ですか?!
映像を見る限りで判断するなら、あまり音楽ホールらしからぬ会場であったことがわかる。
もしも大会議室兼ホール的な場所だったとしたら、防音設備もろくになかっただろうし、音響も推して知るべし。「高崎ロック史」に「ロックコンサート用の会場を探すのは大変だった」とあるが、この高崎市福祉会館といい、パブゴールドといい、プランニングした人々の苦労が垣間見える。

もっとも会場内を実際に自分の目で確かめたわけではないので、全くの的外れだったら申し訳ない。実際、LiveFansに掲載されている「1983/12/18 高崎福祉会館」のセットリストとYouTube動画のセットリストが異なっているため、そのYouTube動画が本当に高崎市福祉会館の映像かどうかすら存じ上げないので。

【〔番外〕クラブ銀座】

敷地の外からとはいえ、今やただの駐車場となってしまった跡地をいつまでもじろじろ観察していても完全に不審者なので、通報される前に早々に退散することにした。
そうして「もてなし広場」の喧噪から遠ざかりつつ、一路、次の目的地である高崎市文化会館へ。
でもその前に。ついでなのにちょっとだけ廻り道をして「クラブ銀座」(跡)前を通っていくことにする。

クラブ銀座は布袋氏の御母堂が働いていたナイトクラブ。飲み屋やスナックなどが建ち並ぶ繁華街の一角にそれはあった。今は中途半端に夜のお店と住宅が混在している地域のような印象を受けるが、往時は大変な賑わいを見せていたのではないか。
勿論、クラブ銀座は今はもうなく、別のお店になっていらっしゃった。

布袋氏の自伝「秘密」には、「高崎のタクシー業界からすれば相当のお得意さんだったようで、俺が母親の店から帰るときなど、運転手さんから「あぁ、バーギンのトモちゃんだね。ほら、乗っていきなよ」と言われたものだ」とあるが(※6 P28)、何のことはない、お店のがタクシー会社(当時)。
江木町にある布袋氏の御実家まで歩くと、大人の足でも恐らく20~30分くらいはかかる。夕暮れ時に小さな子供がそんな距離を帰ろうとしていたら、気に掛けて「乗っていきなよ」と声をかけるのではないかなぁ。その辺りの夜のお店のお客さんや従業員相手の商売だから、お得意様というのも当然あるだろうし、暇な時間帯だったというのもあるだろうけど、それだけではなかったのではないかなぁと思ったり。

なお、布袋氏は御実家のことを「目を見張るような豪邸」「ずっと後には美術館になったという噂も聞いた」「誰の目にも物珍しい北欧風の洋館」「フランク・ロイド・ライトを彷彿とさせる建築美」「何から何までエスタブリッシュメントの匂い」などと形容されていらっしゃった。(※6 P24)

これだけを聞いたら誰だってどれほど広大な敷地に建つ大豪邸なのかと思う。だって、フランク・ロイド・ライトって確か帝国ホテルの設計者だよね!?しかも「後には美術館になったという噂」だよ!?
もしや旧朝香宮邸旧古河邸もかくやというレベルなのか。

んなこたぁない。
まぁ、冷静になれば、そんなはずはないことはわかるわけで。

2006年発売の「別冊宝島1322 音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOOWY伝説」の「群馬・高崎プライベート感傷旅行記『BOOWYへのショートトリップ』~メンバーの少年時代に思いをよせて~」という記事で、近所の人へ聞き込みをして旧布袋邸を尋ね当てた記者が「北欧風の洋館は見当たらない」「35年前にはモダンな家だったに違いないが、それほどの豪邸には見えない」「(裕福な生活から一転アパート暮らしの)ギャップが激しかったせいで、思い出が美化されたのかもしれない」と語っていたが(※7)、多分こちらの記者の証言の方が正しい

勿論、記者が訪れたのは2006年頃なわけだから、それまでに建て替えられていた可能性もないわけではない。けれど、そうだとしたら事情をよく知るご近所様が記者にも伝えていたのではないか。それに、布袋氏が高崎に住んでいた頃の資料を見ても、家は大きいといえば大きいのかもしれないが、繁華街から外れた住宅地の一軒家としては、特筆すべきレベルではない(ぶっちゃけもっと大きな家はそれなりにある)。
それに、よくよく考えてみると、アメリカの近代建築の巨匠たるフランク・ロイド・ライトを彷彿とさせる建築だと仰っているのに「北欧風の洋館」なの……?!
なーんか、一度は名前を聞いたことがあるような有名建築家の名前を出しておけば、なんかよくわからないけどスゲー感を出せるよね?北欧風とか言っとけばお洒落な感じでしょ?的な下世話な計算が透けて見えるというか。
まあ、「~という」「~と聞いている」という言い方と、大昔の話なのに本筋ではない部分のディテールの描写が異常なほど細かいというのは、設定盛り盛りで自分を大きく見せようとする典型的布袋寅泰構文の一つなのでね。(苦笑)
よって、私は布袋氏の話より宝島の記者の証言の方を採用したい。
もっとも、どちらが正しいにせよ、今となっては証明しようのない話なのだが。

【高崎市文化会館】

さて、今度こそ「高崎市文化会館」(総合文化センター)へ向かうとする。
クラブ銀座(跡)前を通り過ぎ、しばらく歩いて漸く到着。
今回の目的地の中では、ここだけ他の場所から少々離れている。(旧)県立高崎女子高校跡地に建設された末広町の施設だ。

公式によると、BOOWYは1984年10月10日と1985年6月20日 の二度、このホールのステージに立っている。(1984年10月10日に開催された 「TAKASAKI ROCK FESTIVAL」は友情出演)
高崎市文化会館は1984年4月竣工7月開館とのことなので、彼らが出演したのは開館間もない頃

先述の「高崎ロック史」で、同ホールにて行われた「TAKASAKI ROCK FESTIVAL」がきっかけで、高崎市の会館はロックのコンサートに風当たりが強まったと書かれていたけれど、出来たばかりの綺麗な会場で、出演者は会場を汚すわ観客は爆竹を鳴らすわなんて荒い使い方をしたら、そりゃあ次から貸し渋られますよね。まして公共施設。
ゲスト出演だったとはいえ、BOOWYが出禁にされなくて良かったと心より思う。

今回現地を見て回った中で、当時の姿を留めているのはここだけ。
40年ほど前に建築された施設のため、途中で改修・改築はされているだろうが、彼らが立ったホールも現存している。
私が訪れた際は、表千家同門会群馬支部の催し物(?)が行われていた模様。
ホール内には入れないので、開放されているロビーでちょっと一休み。ロビーにあった昔の高崎市街のジオラマが地味に面白かった。

余談だが、こちらの会場で行われた「TAKASAKI ROCK FESTIVAL」には、BUCK-TICK(当時のバンド名は「非難GO-GO」)も出演されている。
BOOWYとBUCK-TICKのエピソードと言って真っ先に思い出すのは、アマチュア・バンドのイベントにBOOWYがゲスト出演した夜の打ち上げで、櫻井氏が氷室氏から「お前、ツラいいからボーカルやれよ」と言われたという話。

僕がまだアマチュアの頃、地元のバンドのイヴェントに同郷のBOOWYがゲスト出演。その打ち上げで初めて氷室さんとお会いしました。高崎の駅前の居酒屋だったけど、氷室さんは酒を飲まずにコーラばかり飲んでいました。でも、そのコーラを飲む姿や、注文の仕方さえもカッコよかった。男が男に魅力を感じさせるくらい、人を惹きつける不思議なパワーを持った方でしたね。その時ドラムをやっていた僕に「お前、ツラがいいからヴォーカルやったほうがいいよ」って言ってくれたこと、もう忘れてしまっているでしょうね(笑)。(※8)

この時打ち上げが行われたという「高崎駅前の居酒屋」はどこなのだろう?
できればここがどこか知りたかったのだが、ヒントが少なすぎて特定には至らず……。駅前に居酒屋はごまんとあるので。でも、きっともう姿形もないのでしょうね。

なお、氷室氏と櫻井氏の初邂逅がこの「TAKASAKI ROCK FESTIVAL」の時かどうかを私は存じ上げない。
ただ、同じくBUCK-TICKの樋口氏が初氷室体験を「高校生の時、群馬のイベントで会った時」と仰っているのと、BUCK-TICKの前身バンド「非難GO-GO」の結成が1984年3月であるとのことから(Wikipedia情報)、恐らく1984年頃の話ではあるのだろう。
………ん?高校生?
打ち上げが居酒屋……?!
うん。コンプライアンス前夜だからこそ!な微笑ましいエピソードですね。
今のご時世ならまさに非難GO-GOだったろうなぁ。(苦笑)

さて、この高崎市文化会館で、今回の私のBOOWYゆかりの(跡)地巡りはひとまず終了
旅の最後に、当時と変わらずにある施設を訪れることができたのは収穫だった。
想定よりも早い時間に終わったので、私のお目当ての出番まではまだちょっと時間があったけど、どんな感じかともてなし広場へ様子を見に行ったら、思いの外お客さんがいらっしゃる。明らかに昨年よりも多い
「じぐろ京介 with SPECIAL MEMBERS」の出番近くになるまでお茶でもしてようかと考えていたけれど、急遽予定変更して、出番の少し前からステージを拝見させていただきました。

市長がご挨拶で「来年もまたやりたい」的なことを仰っていましたが、はてさて来年はどうなることやら。
「SPECIAL MEMBERS」フルメンバーのご出演が叶うのであれば、早めにお知らせください。(笑)


<お願い>
今回私が訪れた「BOOWYゆかりの(跡)地」の場所は、複数の資料をあたって割り出しておりますが、資料の中には矛盾した情報(例:当時の高崎市庁舎の東側に高崎地域医療センター、福祉会館の西隣に地域医療センター)もありました。自分ではその場所でまず間違いないだろうと判断して書いておりますが、当時の事情に詳しい方で「そこは違う!」とお考えの場所がございましたら、ご指摘くださいますようお願い申し上げます。


【2024/1/15 御礼】

2024年1月15日の夜、書きかけの記事を編集しようとnoteの画面を開いた途端、画面一杯に以下の「CONGRATULATIONカード」が表示されました。

先週もっとも多く読まれた記事の1つ、だと……?
「~の1つ」ということは「もっとも多く」ではないのでは?……というようなツッコミはなしにして。(笑)
こんな超個人的備忘録をお読み頂き、大変恐縮です。お楽しみいただけたのであれば幸いです。
いつも書いている(最近はさぼりがちだけど)噂シリーズと比べると、大して時間もかけずに気楽に書いたこの記事。こんな通知が来るほど閲覧数が多いとは思ってもおりませんでした。BOOWY界隈の需要がわかりません。
そしてお読み頂いた皆様、一体どうやってこんな僻地の記事まで辿り着いたのでしょうか。SNSとの連携など、一切告知もしていないのに。解せぬ。
……まさか私のあずかり知らぬところで晒されたりしてませんよね?!と少々不安にもなったり。(笑)

改めて、お読み頂いた皆様に感謝申し上げます。
ありがとうございました。

【出典・参考資料】

※1 「BOOWY B to Y」
※2 「劇場都市」vol.05
※3 Fool's MATE 1992年3月号 P38
※4 「記憶」/松井常松著
※5 「写真アルバム 高崎市の昭和」
※6 「秘密」/布袋寅泰著
※7 別冊宝島1322 音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOOWY伝説  P62
※8 月刊カドカワ1991年4月号 P60



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