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「もしもウサギにコーチがいたら」感想と日記

大きな事は望まない、ただただ、田舎に帰りたくて、広い空があって、広い麦畑が風に揺れていて、それをぼーっと眺めて過ごしたい✨

何も欲しい物もないし、どこに遊びに行けなくてもいい、ただただ、田舎の空気が吸いたくて、息が苦しくて、顔はパンパンにむくんで、ついにもう私こんなんになっちゃったと、顔の表情筋が動いていないGWでした💦

最近、子どもに叱る元気もなくなったくらい、今の世の中を悲観していました。

そんな中、改めて、我が子を大切にしたいと思う出来事がありました。

私にとって、我が子と、家族と、そして、人と人とが心を通じ合う瞬間が、何より幸せな事なんだと改めて感じています。

何か、越えなければいけない事があった時、誰かを責めるのは簡単です。

でも、責められた子どもや家族や、話し合いたい相手が、正しく直してほしいと言ったからと言って、

本当に言われたとおりに気持ちよくできるのかな。

そこに気持ちが乗らなければ、その場限りで、わだかまりや不満が残るだけです。

どちらかが歩み寄り、優しさが伝われば、きっと信じられる人となら分かり合える。

失敗や間違いは誰にだってある。

そこに寄り添う事、一緒に、大丈夫だよと、次のステップを考えられる事が、
また強く優しくなれる原動力になるんじゃないだろうか。

『もしもウサギにコーチがいたら』
という本を少しだけ読みました。子どもにも、選手にも、誰に対しても当てはまるコーチングの本です。
とても響いてなるほどと思った言葉があります。

『弱みや苦手を克服させることが「成長」だと信じ込んでいる指導者やコーチがいます。

でも、良いコーチは決して、(自分よりも強いキツネとの)戦い方を、ウサギに教えたりはしない。

弱みや苦手を克服させて満足するのは、他の誰でもないコーチ自身と知っているからです。

コーチの仕事は、ウサギが望むところにできるだけ速く、うまく行き着けるようにすることです。

それも、ウサギの望む方法で。』

この言葉の意味を、自分の中で理解できた事で、私はやっと、子ども達との関わり方の道筋が見えてきた気がしました。

我が子と過ごす時に力が抜けて、小さい事には少し目をつむって、指摘したりする場面も減りました。

子ども達が家でご機嫌で過ごす時間を持てる事が、外でも頑張れる原動力になる。

もちろん、大事な場面では叱ります。

でも、そうじゃない時は、姿勢が悪く立って、着替えが遅くたって、食事に文句言われたって、床が汚れたって、「じゃぁどうしよっか」と言って一緒に考える、もしくは「自分で決めてね」って、言えるようになって、
やっと、何かの呪縛から解放された気がします。

今まで、たくさんたくさん怒ってごめんね。

怒っていた時は必ず「どうせ私はだめなんだ。どうせ全部が私のせいだ。私の事嫌いなんだ。」と言う言葉が返って来ました。
「そんな事言ってたら、こんなに悪い事ばかりしてるのに何も言えないじゃないか」とずっと思っていました。

でも、そうじゃなかった。私が変われば、子どもも変わる。

それは本当の事でした。

ダメな自分を直そうとするのは苦しいけど、どうしたら、自分も含め、みんながご機嫌良くいられるかにベクトルを向けると、少しずつだけど、変われたような気がしました☘

子どもも、自分も、そして自分の大切な人たちみんなが、心が自由で緩やかに、穏やかにいてくれたら、一番嬉しい事だなと思います。

今を無事に乗り越え、みんなとまた会える日を信じて頑張ります✨

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