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「P1」

『俺の名はピノシタヒロシ!胃拡張小学校4年中組の黒板消し係さ!太平洋の孤島で生まれた野生仕込みのこの俺が、生まれついての2枚舌で真の料理道を追求するぜ!ヨロシクのヨ!』

第1話「麻酔代わりのチーズフォンデューの巻」

その日、O県カツオブ市のとある洋食屋には長蛇の列が出来ていた。
開店セール。チーズフォンデゥー食べ放題¥980。
その列の中ほどにピノシタは居た。
それにしても、なんという繁盛ぶり。開店30分前の午前11時に並んでから2時間半が経っているが、未だ店内の様子は見えない位置だ。
しかも、並んでいるのは珍しい物好きのミーハー客とはちょっと雰囲気が異なる目の血走ったグルメ野郎達ばかり。それだけ、この店の味が本物だという証拠だろう。『味少年としての食べっぷりを見せつけてやる!』、ピノシタの胸は高鳴った。


それからまた1時間が経過した。
さっきの位置から十人分程は進んだものの、いまだ店内は見えない。
が、匂いは感じられる位置まで来た。
ピノシタは、持ち前のワイルドな嗅覚で、これから味わうであろうその味を想像した。
キュルルルル。おなかと背中がひっつく音がした。
そしてただ目を閉じ列が進むのを待つのだった。


只今の時刻は午後3時43分。
ピノシタはまだ店内に入れずにいた。
さっきからの香ばしい匂いと料理への期待による幻覚で、もう限界に達している。
ドラえボールZZの再放送がある夕方までには家に帰りたい。ピノシタも一介の小学4年生、見逃せば明日の学校の話題についていけない。
それだけはなんとしても避けねばならぬ。
そのとき、ピノシタの前に並んでいた一団5人が突然列から外れた。我慢の限界が彼らに訪れたのだ。列はグッと前に進んだ。『ボールはまだ生きてるぜ。ヨロシクのヨ!』
ピノシタの目に輝きが戻った。

午後4時を回った。店内まで、のれん1枚を隔てて目と鼻の先の位置だ。
「続いて1名様お入り下さい」
ピノシタはついに店内へと招き込まれた。
そして、ついに待ちに待った対面の時がやって来た。ついに、今、お目当てのチーズフォンデゥーが、ピノシタの目の前、舌の前に現出したのだ。
彼は震える手でスプーンを掴み、チーズに手をかけ口へと運んだ。
熱い。
尋常じゃなく熱い。
しかし、この熱さの下に何かがあるはずだ。
その何かを掴み取るまでは絶対にあきらめる訳にはいかない。そう、ここまで辿り着けずに脱落していった者達のためにも。
たとえ、ピノシタの、この舌が張り裂けようとも。
野生の味小僧(WGB:ワイルド・グルメ・ボーイ)の名にかけて!熱さをこらえ、スプーンという名の櫂でもって、この芳醇なチーズの海を漕ぎ出すのだ。

その時です。
『な、何だ、この食感は!』
そこには、紛れもない味の新大陸があった。
この世に生まれ落ちて10年、ピノシタ列島に初めて走る激震。
ま、まさか。
そう、そのまさかだ。
ま、ま、まつざか、松阪牛。
松阪牛がチーズの中に埋まっていたのだ。


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