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書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)

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書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことばが あなたさまの自分軸にも立ち返るきっか…
最後まで全文読み放題の買い切りマガジンです。 まとめてお読みいただけることで、より内なる軸と繋がり…
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#言葉の力

文章は自分のタイセツを伝えるためだけにあるのではなく、誰かのタイセツを代わりに届けるためにも存在するもの

文章は自分のタイセツを伝えるためだけにあるのではなく、 誰かのタイセツを代わりに届けるためにも存在するもの。 両方あるけれど、後者に灯がついたら思いきり振り切れるのがまさにライター。 他者を選べる人がライターとなり 自分を選ぶ人が作家となる。 あなたはどちら? そしてもう一つ。 「どちらも」という変わり者がいたって世の中おもしろい。 ただ一つ、言えることは どんな言葉を選んでも、そこにふれる人のこころに なにか灯がつくものであれればそれでいい。 どちらを

幸せな時間はそっと過ぎていく ~「役目」というより「よろこび」を生きて~

今 いろいろさせていただいていることは どれも 「よろこび」 でしかなくて その延長上に 「役目」なり「天命」がある。 きっと、すごくシンプルなのかもしれません ふわっと羽のように舞い降りたコトバ。 とてもシンプルですが、それ以上に幸せを説明することもないですよね。 「幸せな時間は、そっと過ぎていく」 今自分がしていること、させていただいていること、生きるいのちのすべてが「よろこび」だと感じられるとき 人は自然と「祈る」だけになっていく… そして祈りの塊が、軸

初めての出逢いが言葉な時代におもうこと 

いまはなんでも、オンライン。 出逢いも仕事も婚活も、最初の「はじめまして」がリアルではなく言葉になっている時代だから 自分らしく発する、自分らしいサイトであることが、ますます大事になっていると感じています。 でも、あらためて言葉そのものが、内容が伝わるのではないということ。 “雰囲気”といいますか“空気感”でしょうか…? なんとなく伝わる温度や匂い、お人柄といった「言葉になっていない部分」の方が大切だと、あらためて感じています。 でもそれは、逆説的かもしれませんが

言葉が決まれば自分が定まる

言葉が決まれば自分が定まる。 そして人は勝手に動きだす。 だから言葉とパートナーシップをとることは大切なのですが こちらからとるのも止めてしまうと、言葉も拗ねるから 日々言語化や書くことを習慣にするのはもっと大切。 言葉とは、潜在意識にあるものと顕在意識との架け橋で。(自分との翻訳係) そこが明確になってはじめて 外へと内側からのことばが、魂からのメッセージが発せられていく。 だから、内観と、実際に書く(話す/アウトプット/言語化)との連動が大切なのですよね。

優しさは形にも言葉にもできる

先日とてもうれしい記事をご紹介いただきました。 とのことで、自己啓発ソムリエ 言葉で動く様に心からありがとうございます。 ご紹介いただけた記事はこちらで、 自分のnoteを好きになる意味、そして自己肯定感に繋がる理由が分かりましたとのご感想もうれしかったです。 そして… 何より心に沁みたのが、自己啓発ソムリエ 言葉で動くさまのあり方。 コメントからの抜粋になりますが もうこちらこそ感動いたしまして、そんなふうに感じてくださったうえで けして短くはない時間を「いつか

直感がバンバンくる時=自分と繋がりはじめている証拠

最近、直感が冴えていて… 問いと答えが、いつもセットでやってくる感覚です。 例えば、誰かの「これってどうしたら…?」問いがあれば、もう話の途中で「あ」と浮かんで、すぐ伝えて 話がおわるまえに即解決(笑) このスピードが、ほんとうにビックリするくらい速くなってきました。 そしてそれは、「自分」のことに関しても。 *** 少し、考えながら書き出して、でももう書き終わる前には 「あ」と浮かんで 書く必要までなくなったり…  でも、それくらいとにかく早いんです、展開が。

究極の本音で生きるとすべてが調和する

真っ先に降りてきたワードです。 「究極の本音で生きると、すべてが調和する」。 ということは、調和しないとき、なにか自分のなかで不協和音がするときは本音を生きられていないとき。 いえ、本音にさえ気づけていないとき。 でも、真の本音に気づくと、ひとはなぜか優しくなれます。 そう、人の究極の究極の本音は、“愛”でしかなくなるから。 そこに、いろんな纏わりをつけて 建前や「~こうあるべき」の常識をつけて生きるから そこが曇りとなり、あなたの真の輝きがまっすぐ出てこられな

お父様からお子さまへ記事をご紹介いただける感謝

先日、ある記事をお読みくださったお父様が 娘さんにそれをシェアしてくださったようで。 ほんとうにうれしく、あらためて心からありがとうございます。 娘さまから感謝のお言葉をいただき、なにより 「お父様が」「娘に」って、ほんとうに信頼がないとしないし できないことだと思うのです。 「紹介したい」と感じてくださったこと、 そんな伝わり方、記事の広がり方があるのだと… ことばが足りなくなるほどの感銘を受けました。 これ、本当にことばになりません… ずっと書き続けていてよか

最後まで言い切る力を身につける

聞き役さんは、最後まで人の話を聴く力に長けています。 ですが、逆にいうと合わせすぎて 自分の意見を言えないままに終わってしまいがち。 仮に「でもわたしはこう思う」と一度切り返しても、 相手がさらに「でもね」と話すと 『そうか』 でそこで止まってしまう。 それ以上は話さず、なんとなく相手を受け入れたままで終わることが非常に多いと思うのです。 でも。 結論から述べると、ほんとうに大事なことなら途中で折れないで 最後まできちんと言い切ること。 いつもいつも「そこ」で

体験からのことばが肚の底からの言葉に変わっていく

ことばには不思議な力があって。 今ある書をまとめているのですが、そうするとそこにもっと必要な体験がやってきて。 「超えながら、書く」というプロセスも加わり おなじ言葉でも、見た目の色は同じ黒でも より濃い太いインクに変わっていけるのを感じています。 見た目は、ほんとうに同じ文字。 でも、その奥行きが全然違う…のは、やはり「体験」が伴っているから。 ただ「考え」を述べるだけのものより、骨も肉も使われ、時に血も流しながらのそれは まさに真珠。 そこを分かち合って

(自己対話)書くことでいのちを支えてくれる言葉たち

つらいとき悲しいとき、言葉が本が 本当に支えになってくれました。 そして読む側だったのが、やがて書く側へ。 いつしか、言葉たちの声が聴こえるようにもなっていました。 うん、今日は自分のためにだけ書きたいんだ …いいのかなぁ…? …あ、そうだった わたしは、自分のためだけに紡ぐ日がないと生きていけないし 書いていけないんだ それが、自分を支える愛だから。 …えっ? …そっか、そうなのかなぁ でもきっと、わたしは書くことで本当に自分を支えてこられたんだし、

スキをいただくのが申し訳ないとき

毎日素直な気持ちで、筆をつづること。 それを日課にしているのですが ふと、スキをいただくのが申し訳ない…と感じるときがあります。 それは、なんだか気恥ずかしい記事を書いたときや、 自分ではうまく書けなかったというとき。 そんなことが、2年も書いているともう何回もあるのですが そんなとき、にいただくスキに もう本当に恐縮するというか、 「うぅ、ありがとうございます」とやさしさに満ちた気持ちでいっぱいになります。 そして、そういう記事に ご反応をいただけたりすると

予想外、計算外のご購入を受けとらせていただけるということ

ありがたいことに、「こんな方に届けたい」を遥かに超えた 方々に文章が届くことがあります。 また、「なぜ、今なのだろう…」 時空を超えて、1年以上経ってようやく立て続けにご購入いただけることもあります。 どちらも、まさに予想外ですし そこがまた、計算も戦略も通用しない世界のふしぎでいいところ。 特に「女性の方向けに…」と書かせていただいた記事が、 なぜか男性の方々にこそお求めいただけたり。 そんなとき、わたしは背筋が伸びるとともに 敬意で思いきり、頭が下がってしまいます

伝えたいことがある幸せ ~「書きたい」との違い~

今日は山の日ですね。 相変わらず「なんの日か?」よくわからないのですが 今日からお盆休みの方もきっと多いはず。 今回は(も?)、のんびり書きたいのですが いま幸せだなぁと感じていることは 「伝えたい」ことがある幸せ。 「書きたい」幸せじゃ、ないのです。 「伝えたい」ことがある幸せ… これ、似ているようでまったく違うのだと 今自分の体感をもって感じつくしています。 この微妙な違いを、自分のなかで感じられるようになると 「書く」はもっと、楽しく集中したものになれ