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朽ちたベンチ

いつもの河川敷の運動公園を散歩した。
晴れた日には毎朝爽やかな散歩道なのに、妙にこの林の中のベンチを見ると悲しくなる。とくに、今朝は・・・。

もう30年は経つだろうか、まだ散歩道の舗装化もされておらず、下草を刈って道らしき物が作られ、ベンチが幾つか置かれていただけだった。当時はまだ歩く人も少なかった。

休日には二人で犬を連れて来て、ここに腰掛けて放してやった。マダニだろうか、ゴールデンレトリバーの長い毛の中や、犬の目や首の辺りに幾つもの小さな虫が付き、時間が経つと血を吸って大きく膨らむ。しだいにこの辺りには来なくなった。

運動公園としての整備が進み、少し離れた所が遊歩道として舗装され、このベンチだけが置き去りにされた感が有る。下草が刈られても、整備された道の方が歩きやすく、近付かなくなった。

思えばあの頃までが何とか家族をまとめられていた。義母のパチンコ依存症が酷くなり、カードローンで300万を超える借金を作り、借り入れで何とか返済すれば、今度は町金で借りたり近所で借りたり、しだいに夫婦間の溝は深くなった。家族はバラバラになって、子供への影響を防ぐのに精一杯だった。

依存症という病気でも、薬物やアルコール依存と違い、入院施設はなく、家に縛り付けることもできない。妻は外で働くようになり、しだいに実家に掛かり付けになった。

ほぼ同じ頃、知人が同じ様なパチンコ依存症で、親戚や近所との付き合いも切られ、余りの不潔さと臭いで出禁になった。その頃には骨と皮がボロをまとっただけの、栄養失調の様で、認知症のような症状も出ていた。空き缶を集めて生活をしていたが、いつの間にか姿を見なくなった。

そんなのを身近に見たので、何とかしなければと思いながらも、拘束もできず家族はバラバラになった。

妻の死後、隣近所は全く付き合いを切ってしまい、義父はガタガタに痩せて歩けなくなり、認知症が酷くなり入院して半年後には死んだ。義母は未だに施設で生きている。顔も見たくないので施設には行ってないが、娘が行ったら認知症でほとんど解らなくなっていたという。

いったい、どうすれば良かったのだろうか。義母を一度は家に連れて来て同居をしたが、半月も経たずに家の金を持ち出してパチンコ店に通っていた。

飢え死にを覚悟で一切の援助を絶てとアドバイスを受けたが、妻にしたら実母で、そこまではできなかったようだ。妻の死後、全ての預貯金が使われていた。もしまだ生きていたら、我が家の預貯金の全てを使い果たし、その後はどうするつもりだったのか、聞いてみたい気もする。彼女は彼女なりに苦しんでいたのだろうと思うと、哀れになる。小学生の頃には既に義父母はパチンコ通いをしていたという。

老害以前の問題で、こういう人間との付き合いの切り方は相当な覚悟がいる。唯一の解決策として、早くに離婚すべきだったのか。それ以外考えられない。あれほど周囲からの反対が有ったのに、分厚い「調査報告書」まで届けられていたのに見もしなかった。当時は自分の生き方も、結婚という意味さえも考えていなかった。他人のパチンコ依存症によって、自分に目覚めることができたと思えば、それもまた良しとしなければならないだろう。

などとベンチを眺めながら、今は過ぎた日々を想い出しては孤悲(こひ)しく思う。


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