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『日日是好日』を読む

映画「日日是好日」 を見た。そして深い感動を覚えた。女優樹木希林さんの遺作であり、黒木華さん主演作。好きな女優さんの黒木華さん主演なので、何となく観たものだ。

茶道を通して、狭い空間の中での作法という縛りを受けながら、実はその先には広くて自由な自然との深い交わりが感じられてくるという、精神世界が描かれていた。久々に感動した映画だった。そして直ぐに、森下典子著『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』を購入した。

[世の中には、「すぐにわかるもの」と「すぐにわからないもの」の二種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリー二の『道』のように、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。

「お茶」って、そういうものなのだ。 ーーーまえがき]

生きることに焦る必要などはない、急ぐこともない、少しずつ自分自身と周囲との関わりと、自分自身の鼓動とが感じられてくる、そういう感動を覚えた。そしてどうしても原作本が読みたくて注文した。

自分自身、残りが少ない今になって、いろいろと迷いが出てきた。その迷いや焦りの中で、この本との出会いが問題を別のもに替えてくれた。

一昨年の初夏、本の整理をして肩に痛みがでて、夜も寝られなくなり、病院へ行った。70歳にして肩関節周囲炎、いわゆる四十肩とか五十肩のようなものと言われた。別の整形外科で、肩の腱板断裂とわかり、1年掛かって痛みは治まったが、思うように動かなくなった。手術を勧められたが、家には17歳になる猫がいて、簡単には入院も決められなかった。その猫も去年末に死んでしまった。

首の痛みや肩の凝りは、ストレートネックが原因のようだ。30年近くもTIG溶接を続けてきた。仕事で長時間の前傾姿勢を続けてたのが、原因だったようだ。最近では、体調も良くない日が続き、年齢を強く感じ始めてきた。幾ら頑張ってみたところで、生物には寿命がある。こうして老いて、いくら治療を繰り返しても、苦しみや痛みを感じながら、少しずつ死ぬだけなのかもしれない。

10年前に妻が逝き、猫を相手の一人暮らしが続いた。ボケ防止の温泉という趣味の世界から、さらに進み、温泉地とそれを守り続けてきた人に、心引かれるようになった。「秘湯」などというよりも、寂れて忘れられてしまったような、小さな集落の中の、古い1軒の温泉宿に目が向くようになった。狭い土地に寄り添うように住む人たちの、あたたかい、やんわりとした生き方に魅せられてきた。

その延長として、地方の産業や福祉施策や交通など、直接その人達と関わる様々なことについて、多くのことを知りたいと思うようになった。より広い知識を得たいと思ったのは、自然の中に毎日をすごしてる人に近づき、何か出来る事はないだろうかと思えたからだ。

その純粋な気持ちとは裏腹に、体の各部が痛み、思うように動かせなくなり、悔しいことだが次第に強い「老い」を感じらざるを得ない。肩の痛みで動かせなくなると、気持ちの落ち込みはさらに強くなった。

そういう中での映画との出会い、『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』との出会いは大きなものだった。

著者の「お茶」を通して、精神世界の成長を綴るもので、映画とは、また違った、静かに深い感動が得られた。世の中の出来事とは離れた、小さな庭に面した部屋での、「お茶」を通した人の成長と、自然界の移ろい。

[人生に起こるできごとは、いつでも「突然」だった。昔も今も・・・・・・。

もしも、前もってわかっていたとしても、人は、本当にそうなるまで、何も心の準備なんかできないのだ。結局は、初めての感情に触れてうろたえ、悲しむことしかできない。そして、そうなって初めて、自分が失ったものは何だったのかに気づくのだ。ーーー『日日是好日』第11章]

[会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。ーーー『日日是好日』第11章]

[幸せな時はその幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。

だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。

一期一会とは、そういうことなんだ・・・・・・。 ーーー『日日是好日』第11章]

10年前に妻が死んだ。死を前にして、死期を区切られて初めてその相手を愛した。病院の個室で過ごした10ヶ月間を、ずっと側に居て何もできずに、ただ少しずつ死んでいくのを見守っていた。もっと強く激しく、自分の思いを表現することが、何故できなかったのだろうか。未だにその事を悔いている。

36年の結婚生活で、本当の夫婦と感じられたのは、最後の十ヶ月間だけだった。外には良い夫婦の仮面をかぶっていた。毎日まいにち家に居ないで、パチンコ依存症の実家の両親に振り回されてる姿を見て、何も言えずにイライラとし続けていた。もっと強く引き戻していたら、倒れるまで一人で苦しませることは無かったのだろう。

大事な人と別れ、もう二度と会うことができない。先に逝って待ってる、と人はいうが、死んでしまったら、離れてしまったらそれで全てが終わってしまう。あとは静かに、一人残されて、その傷の痛みに耐えなければならない。自分自身が消えるまで、痛みは決して消えないかもしれない。

今の痛みや苦しみ、最期の時まで続くであろう悔やみは、身近に寄り添う猫一匹になった。その最後の家族である猫も昨年末に死んだ。首が変形するほど仕事に打ち込んできた。騙され利用されても、懸命に力の限り生きてきた。でも、どこかで自分を隠し飾っていた。なぜ自分自身を素直に出せなかったのだろうか。「お茶」は習ってないが、これからの時間、「日日是好日」を実感できる生き方をしてみたい。

『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』 筆者森下氏ご自身の、茶道を続けながら、その中に発見する自然の営みと、それに重ね合わせる作者自身の生き方の発見。静かな筆致で、静かに流れる時間を描いている。そして涙が止まらないほどの感激を覚えた。

自然の中にあって、自然と共に生きていく、そういう時間の流れを体感してみたいものだ。

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つくばいでの黒木華さん、屈む姿や、柄杓を使う姿が美しい。後半部で、自信を持って茶席で座る着物姿は、日本女性の美しさが感じられる。

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