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『枕草子』能因本をゲット、そして『源氏物語』も欲しくなった

初めてのメルカリデビューは、小学館『日本古典文学全集11 枕草子』。江戸時代に北村季吟が注釈を付けて読みやすく纏めた『枕草子春曙抄』をだし、広く読まれるようになった。『春曙抄』は能因本を基にして、読みやすくした物だそうで、以後明治期までの多くの文人に読まれるようになり、近代文学への影響も大きい。

明治に入り『枕草子』研究も広くされるようになり、三巻本が原型に近いとされ、最近は三巻本がほとんどになった。何とか能因本の『枕草子』が、もちろん原文に校注と訳の入ったのが欲しかったが、見つけられなかった。

たまたま小学館『日本古典文学全集』に収録されているのが能因本と知り、古書店などを調べたら、メルカリで出ていた。なお、『新編日本古典文学全集』では三巻本になってる。読み比べるのも面白いかな、と思っていたのだが・・・。『源氏物語』に興味が移ってしまいそう。我ながら、何とミーハーな事かと嫌になる。


現群馬大学名誉教授の藤本宗利先生の「源氏物語の世界」という講義を聴いた。これがあまりにも面白くて、というか、文中の一つの単語で出自や身分を表しているという。作家の訳した現代語訳と、研究者の読むモノとはかなり違うことが解り、嫌いで嫌いで絶対に読みたくもないと思っていた『源氏物語』が、原文で読むことによって、単なる恋愛物語とは全く違う作品に思えてきた。

流れるように読まれる原文の音は、日本語の響きの美しさを感じる。着物も「直衣」か「狩衣」かで状況は全く違う。「末摘花」での姫は、同じ女性の紫式部がここまで書くか、と言うほどヒドい書き方のブスだが、親が亡くなり廃屋となった屋敷は、東本願寺の半分という、実は広大な広さの屋敷だった。琴を弾くとあるが、現在は同じ琴といっても「琴(7弦)」と「箏(13弦)」の違いがあり、琴と書いてあれば7弦で、これは皇室の血を引く者しか扱えなかったとか。何気なく書かれた一つの単語が、物語の展開を拡げる下地を作っている。わずか単語一つで舞台設定と整えてしまう。

二日間と言っても、ほんの一部しか学べなかった。それでも『源氏物語』が書かれた当時から広く読まれていたのには、常に研究がされてきたことが、単なる恋愛小説ではないと分かった。

『枕草子』の面白さは、話しの盛りと自己主張の強さが感じられ、どこまで信じられるのかという平安世界の優雅さが描かれている。書いてるときよりも随分前の、御嵩参りの藤原宣孝をバカにするようなことを書くのか。御嵩参りのすぐ後に父清原元輔が亡くなり、宣孝が後任に付いた恨みなのか。時間差や「盛り」の違いの面白さがある。

それに比べ『源氏物語』は恋愛小説の下地に、和語の面白さが敷き詰められている。和語の美しさと意味の深さの上に、その和語で季節や出自や身分が分かる様に書かれ、その舞台の上で光源氏の物語が漢籍や和歌などの強要と共に繰り広げられていく。どうしても欲しくなってきた。現代語訳されていない、原文で読みたくなった。


ところで、藤本宗利先生はアンチ『源氏物語』とおっしゃっていた。本来は『枕草子』の研究だそうだ。休憩時に内容には「盛り」が大きすぎるように感じるというと、仕方ない状況だったそうだ。「盛り」が多いと感じる部分をどの様に解釈するべきか、また講義を聴ける機会があれば、ぜひ伺いたいところだ。

日本の古典は、本当に面白い。

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