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子供に迷惑を掛けたくないから

最近のTVに「子供に迷惑を掛けたくないから」というフレーズで、生命保険のCMが増えてきたように感ずる。「せめて、葬儀代くらいは用意しておかないと」などというのもあったが。

どうもこの手のCMには腹が立つ。親の面倒をみて、子供を育て、最後の最期には誰にも面倒を掛けたくないという。それが本音なら、遺書を書いて海にでも飛び込めば良いだけのことだ。

国道17号から県道353号に入り、草津温泉を目指してしばらく走ると、葬祭社の看板が左側に見えてくる。赤いハート型のクッションのような物を抱えた夫婦人の頬に、ハンチングハットを被った男性が頬に口づけをしてる。

ここを通るたびに、こういう夫婦になりたかったと思う。

普通に育てられ、普通に結婚をして子育てをし、老いた親の生活もみてきた。何故、自分達が老いたら誰にも面倒を掛けたくないと思うのか。順送りのことなのに。

というのは最近思い始めたことで、やはり子供には面倒を掛けたくないと、いろいろと手を打ってきた。今はそんな事に時間と労力を掛けるなら、自由に遊ぶべきと考えるようになった。いくら思い悩んでも、出来ないことは出来ないし、どうせ先は限られている。

後始末が大変だということは、それだけ充実した人生を送ってきたと、いつかは分かるだろう。美田を残さずというが、自分で築いた物は自分で使い果たせばいい。いつまでも子供では無いし、片付ける事を生業としてる人達もいるのだから委せれば良い。


子供の頃から体力が無く、生まれたときから不整脈もあり、この子は二十歳まで生きられないといわれてきた。たまたま二十歳を過ぎる頃まで生き延びてしまい、時代は70年代のオイルショックやベトナム戦争による、大不況が始まった。

今もガソリン代が高騰してるというが、当時はアッという間に2倍以上に上がった。失業率とインフレが上がり、物価も一気に高騰した。1ドル360円という安定した輸出経済から、変動制に代わり、戦後初めての巨大な不況に巻き込まれた。

そんな中、二十歳を過ぎても生きていたために、家業を継ぐことになってしまった。これは自分だけではなく、同年代は同じ様な経験をしたと思う。この時期に貧困者との差別化が拡がってきた。

事業経営の苦境は続き、その中に結婚と子育てもしてきた。個人的な問題だが、妻の両親はパチンコ依存症で、そんなやっかいなモノまでも引き受けることになった。友人や親族からの大反対があったにも拘わらず、別の事で悩んでいて。

当時を生き抜いてきた70歳代以上の人達は、大なり小なり、ほぼ同じ様な経験をしてきたと思う。幾つもの差別化や階級差が生じ始めた時代の中で、皆それなりに努力し辛酸をなめてきた。

やっとたどり着いた老後は、無理をしないようにムダをしないように、そして子供達や周囲の迷惑にならないように、などと縮こまって生きなければならないのか。


幸いにも、我が子ども達はそれぞれに自立できた。数年前に、これからは自由に生きたいと言ってみたら、賛成してもらえた。何も残さないように使い果たし、足りなければ援助もすると言う。育ててもらったのと同じ時間は、お返しすると笑っていた。

本音は如何なものかは知らないが、葬儀代ぐらいは用意しておいて、等と言っても聞かないけど。

生まれてから大学を出て就職をするまで、単なる時間と費用だけではない。年代に応じた悩みや問題に対処し、共に話しながら考えて、反抗期も悩んでるときにも、時間を掛けて見守ってきた。残りの10年か20年くらい、年金で自由に暮らしても、何も残さなくても、病気で入院しても、施設に入っても、同等以上のことはしたとの自負はある。

ということで、何も残さずに、迷惑を掛けるなどとは思わずに、自由に生きていきたい。


朝の散歩中に挨拶をするていどだが、もう数名が来なくなった。元気に散歩をしていても、コロナだかインフルだかで、いとも簡単に人生を終えてしまう。

高齢期は若い頃のように強風に耐えることはできない。わずかに吹く風にも散ってしまう。思い悩むよりも残りを楽しみたい。

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