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正月早々、面倒な話題で盛り上がり

孤独を愛する「独居老人」としては、やはり集まる面々が・・・。
元旦早々、大盛り上がりをした話しで、
こちらも勝手に大盛り上がりしていた。
どうでも良い事なのに。
だから正月に集まるなど、面倒な事なのだ。
なまじ有るのは面倒な事だ。
何も無い事こそ、隠遁生活の楽しみが得られる。


「尊厳死の宣言書」で、いかなる治療も、疼痛管理以外は望まない。
理想とするのは、体力に任せた自然死である事を書いてある。

資産などと言うモノはほとんど無いが、
死後の整理としての「遺言書」を書いた。
不動産関係とそれ以外に別け、それぞれ二人に託した。
葬儀費用等については、すでに託した子に渡してある。

「尊厳死の宣言書」「遺言書」はそれぞれにコピーして渡した。
やり過ぎと言われたが、そうしてやっと隠遁生活を得た。


多くの子供がいて、それぞれが別所帯を構え、独立していながら、
親が新たなパートナーを得ようとすると、とつぜん騒ぎ出す。
誰も同居してないのに、何が解るのか・・・。
今まで通り、最後の最期まで何もしなくて良い、そう成って楽だろうに。
75歳で、55歳との再婚、良いではないか。
うらやましい。
とともに、アイツも大変だなあ。

去年の事を想い出す。
1年後輩だったオバアチャンと再会し、
冗談で一緒に温泉に行かないかと誘った。
同居のセガレ夫婦が、財産がどうのこうのと騒ぎ出した。
親の年金を当てにしてる様な能なしのくせに・・・。

なぜ年寄りが必要以上に仲良くなる事が問題なのか。
後妻業でも何で良いではないか、本人が望むなら。
まあ、なまじ広い土地と豪邸と、幾ら有るのかは知らないが・・・。
何も無い生活になれば、残りの人生は楽しめるモノを。

親戚として気にならないかと言われた。
全く気にならない。
他人事であり、余計な煩いである。
ヒマだから、人の懐まで気にする事になる。


実に七面倒な事で、そういう話題に興味も湧かない。
いよいよ、隠遁の楽しみが解ってきたのかな。

と思いつつも、
なぜか最近、タカ姉を、タカ子さんを思い浮かべる。
幾つになっても、オスはオスなのか・・・笑えてくる。

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