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誰もいない運動公園

4年前の今頃から早朝の散歩を始めた。やっと明るく成り始めた頃に出掛けて運動公園に着くと、もう既に10名以上の高齢者が散歩をしていた。さすがに雨の日には行かないが、他の人達は橋の下の広い駐車場で散歩や運動をしているらしい。

去年の秋頃からしだいに集まる人が少なくなり、最近は近所の犬の散歩に来る人くらいになった。何かあったのだろうか。

中心的なオバサンが二人いて、その二人はいつも一緒に散歩していた。疲れるとベンチで休み、他の人を巻き込んで随分と長い時間話をしていた。初めてここに来始めた頃は、職質を受けてるようで煩わしかった。いつの間にか顔なじみに成り、ある高齢者などは、この二人を目当てに来てるらしく、三人で長時間話していた。

中心的な一人が来なくなり、しだいに他の人達もベンチで話すことも無くなり、1ヶ月も経たずに集まる人が減ってきた。冬に入る前頃からインフルエンザが流行り始め、同時にまたコロナも増えたとか。全員が罹患したとは思えないが、年末にはほとんどの人が来なくなった。

数キロ離れた公園と、ここの運動公園を何度も往復してる人は、毎回同じ時間に歩いてる。すれ違いに挨拶をするが、立ち止まることもなくペースを崩さずに歩いてる。病み上がりのような高齢女性が最近来るようになり、林の中をユックリと杖を便りに歩いてる。その数人くらいで、いつもの顔なじみの人達はどうしたのだろうか。

毎朝、橋の上を歩く時間にると、近くの消防署からサイレンを鳴らして救急車が橋を通っている。以前に比べ、最近は早朝にほぼ毎日サイレンを聞いている様だ。こうして老人が少しずつ淘汰されていくのだろう。


ここ数日、風邪を引いて治らない。風邪を引く回数も増えてきた。それよりも困ることは、去年に比べて治るのが遅くなった。熱が出ても咳が出ても、葛根湯を飲んで寝れば汗をかいて、一晩で治っていた。今はもう四日間も咳と鼻詰まりと痰の絡みが続いている。熱も高くならず、強い症状は出ていないが、面白いことに動けなくなってくる。

高齢者の一人暮らしの場合、何処の時点で助けを求めるのかが分からない。熱も平熱とあまり変わらないのに、力が入らなくなり、起き上がるのも面倒になる。ティッシュさえ近くにあれば、そのままいつまでも寝てるのが楽でいい。体力が落ちると同時に症状も強くなり、節々が痛み頭が重くなり、止まらない咳で息苦しくなってくる。こうして孤独死を向かえるのだろう。

孤独死と聞くと、援助を求めるのも死を迎えるのも全て自己責任、などと軽く考えていた。実際には救助を求めたいときには、自力で動くことが出来なくなったのだろう。やがて自分もそう成るのだろうが、孤独死は良いとしても長時間苦しむのは・・・チョット困る。

家にはまだ食べ盛りの二人がいる。風邪で苦しくても、この子達の食事とトイレ掃除はしなければならない。激しい咳をしながら起き上がり、ご飯のカリカリに缶詰を乗せて用意し、周りを掃除をしてると、心配そうにふたり並んで見ている。ふたりの食事の用意をしてると、何とか動けるようになる。自分の食事の用意をして何とか食べてる。ふたりを両脇に寝かせて、何となく昼頃までボーッとテレビを点けて、ウツラウツラと眺めている。このふたりが居るから起きられるし、起きられなくなったときが終わりの時かもしれない。

我ながら、何とも高齢者というものは面倒くさいものである。


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