記憶の中の人①
私は金持ちのボンボンだったと思います
もちろん本人は気が付いては居ないけど
周りの大人達を不快にする程度に常識から
外れてた子供だったと思う
どの程度、常識から外れてたかと言うと
親に連れられて通ってた寿司屋の大将が
「腹減ったらいつでも喰いに来いよ僕」って
威勢よく言うもんで、小学校の帰り道にランドセル
背負ったまま、寿司屋入って
カウンター座って握りつまんで帰る位の
常識外れた子供でした
それで暫くの間、晩ご飯食べ残すもんで母親が
気がつき問い詰めると
「寿司喰ったからかなぁ〜」と
なんの悪気もなく言い放つ有様なんです
今や人の親になれて思うのは
駄目なやつだなコレと、自分の子供に
同じ事かまされたら泣けるなと、つくづく思う
だけど親父は、ひどく笑ってて
気に留めて無く、今度纏めて払えば良いよと
ケタケタと笑う、そんな人でして
それを見て余計に火がつくお母さんの怒り
「もう信じらんない、学校帰りに寿司屋で
腹ごなし、してから帰るなんて」と
私はその時思うのは
そんなに怒らなくてもよいのに母さん
でも寿司屋に寄り道したの一回じゃ無いんんだよね
悪い事してるつもりは無かったんだ、ごめんよ🙏
でも大将の鮪うめぇんだもん仕方無いじゃん。
私の父親は所謂、土建業を営んでおりました
日本が活気溢れる頃の土建屋さんなもんで
まぁ羽振りが良かったんだと思います
元々の本家も土建屋で、私の父親は次男なもので
独立してたんだと思います
今思い返せばですが
銀行屋さんは自宅に黒いバックもってお金を預かり
に来るもんだと思ってたし
お父さんが着るスーツは、様子の良いお爺さんが
お弟子さん連れてきて
自宅に採寸に来て、仕立てて持ってきてくれる
世の中ってそう言うもんだと思ってました
お父さんのウキウキした顔が今でも思い出されます
だけど私には
お父さんと家で晩ご飯を食べた記憶が
あまり有りません、晩ご飯はお母さんと
二人で食べる物だと思っていました
家族3人で晩ご飯食べれるのは外食の時だけ
だからか私は外食の日はとても嬉しかった
そんな記憶のお話です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?