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結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はなぜ結婚したいのか


ゼクシィのキャッチコピーって、天才ですよね。

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はあなたと結婚したいのです」

個人的には、私の理想の夫婦像ってこれに尽きるなあ、と感じる。
1人でも楽しめる趣味を、時間を、共有したいと思える相手に出会えるって素敵じゃないですか。

美味しかったものを食べたら教えてあげたいとか、
綺麗な場所や風景を見たら今度一緒に来たいとか、
好きなものを見つけたら買って帰ろうとか、

そういう、その人がいないときに1番に思い出して連絡したくなる相手がいるって、めちゃめちゃ憧れる。理想すぎる。

自分ひとりの人生なんだけど、そこに当たり前のようにもう1人がいて、その1人がいることで人生が何倍も楽しくなるみたいな。
やばい、ドラマや漫画の見すぎで、それは理想高いよ!!とか言われたらどうしよう……

でもそういう相手って、それこそ結婚にこだわらなくても別に見つかるかもしれないじゃないですか。
関係性の問題だから恋人同士でも十分成り立つ。

でもわたしはやっぱり「結婚」がしたいと思っている。なぜか。

最近思っているのは、結婚することで、法的・社会的に安心したい、のではないか、という結論。(私の場合ね)

結婚って、籍を入れるって、責任を伴うじゃないですか。
「好きです」「付き合おう」「結婚しよう」
なんて口約束とは違う、恋人同士とは違う、赤の他人が見てもわかる法的な関係。

別に法律の勉強してきたわけじゃないから全然詳しいとかじゃないけど、宅建やFPの勉強をしたときに「配偶者ってだけでこんなにも法的に守られるのか」と思った記憶がある。

お互いの関係性自体は何ら変わらないとしても、籍が入っているかそうでないかというだけでもらえるお金が違ったり、待遇が違ったりする。

例にもれず、私も結婚してそういう安心感が欲しいんじゃないかな〜と。何かあったときに国や法から守ってもらえる関係。
今の私には、1人でも生きていけるという自信もキャリアも十分にないから、日本に深く根付いている家父長制の中に組み込まれて、誰かに守ってもらいたいのかも。(?)

あとは社会の歯車として働いている以上、友人も同僚も、「普通」の人たちはどんどん結婚していく。もちろん結婚してない人も、結婚を選ばなかった人も一定数はいる。けど、今の私が生きてる小さな社会の中では、既婚者が大多数なのだ。

結婚すれば、「いい年して独身」という周囲の視線を気にしなくてよくなる。
帰省するたびに「いい人いないの?」と聞く親の心配も干渉もなくなる。
友人と集まった時の、彼氏や旦那の話に置いていかれなくて済む。
「いつまでも結婚できないなんてわたしはどこか人間的に欠落しているんじゃないか」と思わなくて済む。

(こうして書き連ねていて、あらためて自分は他人と比べることでしか自分を確立できないんだな、と感じて自己肯定感自分で下げてしまいそう………😭)

もちろん結婚がゴールなわけじゃないから、それで安心、一件落着。ではない。
そのあとも良好な関係を築き続ける努力がないと、カップルと同じで、不倫とか喧嘩とか、いろんなトラブルが起こることもよくある話だ。

このnoteも別に結婚しないと決めた人を否定するために書いたわけでは全くない。むしろ、そう決めた人を私は尊敬すると思う。よくある幸せの形に縛られずとも、一緒にいたいと思える相手がいるって素晴らしいじゃないですか。ぜひ馴れ初めからじっくりお話聞かせてくれませんか!!!!

最近美味しくて感動したピスタチオのアフォガード🥺
これ美味しかったよ!今度一緒に行こうね!って送れる
お相手はどこにいらっしゃいますでしょうか。


……とか言いながら、最近「傲慢と善良」を読んで、この「結婚したい」っていう私の意思は、本当に私自身の意思なのか分からなくなってしまった。

結局世論や社会的な流れや友人の結婚報告に流されて、そう思わされてるだけなのかも。それを自分の意思と思い込んで、それっぽい理由を探してつけてるだけかも。だとしたらこの長文noteの存在がますますわからんけど、まあいいや!!

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