CVをデータでなく人間として見る難しさ
先週公開したnoteの反響の高さに驚いています。「そんなことも分からないのか!」とマーケターやデータサイエンティストから批判されるのかと思っていましたが、賛同の声を多くいただいた印象を抱いています。
中でも、データから仮説を考える難しさについて、多くの人が同じところで悩んでいるんだなぁ…と知れて安心感を覚えました。「どうして良いかわからーん!」と本音を吐露して良かったと思いました。
ありがとうございます。
私自身、データとの付き合い方に結論は出ていないのですが「データ見ていたら仮説なんて直ぐ浮かぶだろ」という意見を否定しませんが、仮説が浮かぶ頻度はかなり低く、どちらかと言えば「仮説を証明するためにデータを集める」というのが本来あるべき姿なのではないか?と感じています。
では、どうすれば筋の良い仮説は思い浮かぶのでしょうか。
noteを公開して、データを数字として計算するだけでなく、国語として解釈すると良いという意見を頂きました。数字を一方面から見るのではなく、多角的に見ると良いという意見も頂きました。
ですが、CV1件を「データ」として見慣れている私が、どうやって「1人の人間の購買行動」として見直せば良いのか…自信がありません。
「パブリックDMPと連携してデモグラフィック属性付けて、初回接触からどんな行動してたかカスタマージャーニー作れば良いじゃん!」
いや、それは何か違う…と思うのです。
「人間」を理解するための行動を始めよう
個人的な話で申し訳ないのですが、19年8月から3ヶ月連続で書籍を刊行します。まず8月は、MdNさんから、ikiriDS(イキリデータサイエンティスト)でお馴染みのマスクド・アナライズさんと共著本を出します。
なんでマスクドさんスーツなの?というのは、ネタばれになるので、まだ言えません。すいません。
3ヶ月連続刊行なんて滅多にないし、全盛期の西村京太郎だし、なんとか売らないとなーと考える次第です。Amazon経由で本が売れる数なんて知れていますから、マーケティングのためにも「本屋に行く人を観察しよう!」と考えて、春ぐらいから書店で本を買うがてら行動観察を始めています。
観察して気付いたのですが、本屋って1人で来る人が圧倒的なのです。あれって、何故なんでしょう?
有楽町の三省堂書店で立ち読みしてたら、THREEの袋を持った10代に見える女子2人が入り口で別れて、片方はファッション誌コーナー、もう片方は2階に向かうのを見て「そうなの!?」と驚きました。
化粧品やファッションは、似合うかどうか友達と確認し合うもの。けど本は違うのかなぁ…と考えました。これは、私の中で答えが出ていません。
そういえば新宿の某書店で、私が以前書いた「誤解だらけの人工知能」を買ってくれた人を見かけたので思わず「すいません、その本を書いた者なんですが、以前から知ってくれていたのですか?」と声を掛けたら、
「いえ、まったく。タイトルが気になって、内容パラパラ読んだら、なんだか面白そうだったので」
という回答でした。そうか、書店は衝動買いが大半なんだ!と改めて気付かされた瞬間でした。だからPOPや置き場所が重要なんですよね。
五反田の某書店に毎週金曜日必ず行くようにしているのですが、本棚をパックマンのように全て行き来する(美容・健康も!)人に出会ったので、私も試したら、色んなPOPがあって実に面白い!
Amazonで本を買うときは検索してから買うので殆ど「これ気になる」という本に出会わないのですが、全然違うジャンルでも「これ要はデータ分析あるあるじゃね?」「これってインサイトじゃね?」みたいな気付きが得られて実に楽しいのです。
マーケティングリサーチでは「行動観察」は定番ですが、WEB系の皆さんも人間を観るための行動観察を始めてみませんか?
CV1件をデータでなく、その裏にいる人間を見るために、観察力はこれからのマーケターに欠かせない必須能力だと思っています。
行動観察の代表的な手法は、エスノグラフィーが挙げられます。主に文化人類学で使われる研究手法の1つです。もともとは対象となる部族の「文化」における特徴や日常的な行動様式を観察し、詳細に記述する手法を意味していました。
今日では「観察手法」がビジネスに応用され、エスノグラフィー調査と題して、消費者の行動という「事実」を詳細に観察して、無意識な行動の奥に隠された深層に探る方法として幅広く活用されています。
ただし、消費者のブラウザ上でのマウスの動きとか、ヒートマップなんかは観察ではありますが、主目的がUI/UX改善であり、人間を観るとは違うと思いますけども…。
エスノグラフィーのメリットについて「この1冊ですべてわかる 心理マーケティングの基本」を書かれた梅津順江さんは次のように書かれています。
エスノグラフィーには、主観が除かれ、客観的な視点でのデータが得られるという利点があります。本人もハッキリ意識しないまま行っている生活の様子や態度、実際に使っている動作や反応を現場で観察させてもらうことで、より臨場感を増すと同時に「記憶の限界」をメモや映像などの「記録」で補うことができるのです。そのため、潜在的なニーズやリスク、スキルの抽出に役立てられます。
これは少なくとも私に言えるのですが、人間の行動を数字で見慣れすぎたため、人間自体を見慣れていないと気付きました。見方が分かっていないから良いヒントを得られない。ちょっと訓練が必要な感じです。
商品購入CV1件のデータではなく、買ってくれた人に目を向ける。
それは買ってくれた人の興味・関心情報に目を向けて拡張ターゲティングに使うとかそういう話ではなく、買わなかった人も含めて「人間」そのものに目を向けて、買う理由・買わない理由を考えるのです。
それがデータを国語として解釈し、数字を多角的に見るための素養ではないでしょうか?
「人間」に目を向ける難易度の高さよ
数日前、このTweetが瞬時に拡散され、着物販売を行う「銀座いせよし」や博報堂、TCCが揃って大炎上する事件が発生しました。
・ハーフの子を産みたい方に。
・ナンパしてくる人は減る。ナンパしてくる人の年収は上がる。
・着物を着ると、扉が全て自動ドアになる。
「ハーフ」については、私は知識が無いので「?」なのですが、他はどうでしょう。正直、コピー自体は言葉単体なら「ありそう」と感じました。週末金曜日、終電も無くなった25時の銀座コリドー街で酔っ払った男女100人に「共感しますか?」と街頭アンケートしたら、数名は「そう思う〜」と言いそうなんですが、そんな私は偏見の持ち主ですか?
ちなみに、みんな大好きC CHANNELを見てみると「ハーフ顔」って単語が結構出てきます。ハーフ顔に憧れている人が一定いて、その中にはハーフへの憧れが強過ぎて強過ぎて「自分の子はハーフにしたい!」と考えている人がいらっしゃるのかもしれません。
それはそうだったとしても、なぜそれを着物と紐付けたのか。そのセンスが全く分からないです。着物販売を行う「銀座いせよし」からこのようなコメントが出ています。
「これまで着物にあまり関心を持たなかった方にも目を向けて頂きたいという意図で制作したもの」
であれば、このコピーは今まで着物に興味を持っていた人、すでに着物を着ている人、着物が好きな人の気持ちを無視していると思います。「私たちがそういう理由のために着物を着ていると思われなくたい」と感じる方もおられるでしょう。
寅さんじゃないですが「それを言っちゃあおしまいよう、おいちゃん!」です。もうちょっと言い方、他になかったんかいな。言葉の使い方を間違えた事例として、永遠に語り継がれるでしょう。
既存顧客の気持ちを無視するという点では、去年11月にあったダイナースクラブ炎上事件も忘れてはいけないでしょう。
不思議なのは、なぜ、このような状況が生まれるのかです。
まず誰しもがそうだと思うのですが、堂々と口にできる「正義」「善良」のような表面の心=エンジェルな心だけでなく、堂々と口にできない「不正」「悪意」のような裏面の心=デビルな心を持っているのが人間です。
そんな裏面を否定しようと、キリスト教は人間を罪に導く可能性がある欲望や感情を七つの大罪(七つの罪源)を指定しました。
浄土宗だって、煩悩にとらわれた人間の哀しみを法然上人は捉えて「智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし」と一枚起請文に残しました。
浄土真宗にいたっては、親鸞上人は、
煩悩具足の我らはいずれの行にても生死を離るることあるべからざるを憐れみたまいて願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。
と言って、煩悩具足の人間なのに自分は善ができるなんて自惚れてるんじゃないと言います。いわんや、悪人をや。
「私は清廉潔白な人間ですから」なんて言われると、嘘つけ!と思いますし「私は本当にどうしようもなくダメで」なんて言われても、嘘つけ!と思います。
誰の心の中にも善意と悪意、天使と悪魔が潜んでいて、状況に応じて双方がせめぎ合います。そのバランス、善悪の行き来が「人間らしさ」ではないでしょうか。
だからこそ「人間」を見に行くのは難しいと思うのです。自分の「悪魔」や「悪意」と向き合わないと、人間の悪意なんて見抜けないのですから。
私は、「私の悪意」と向き合えない
「着物を着ると、扉が全て自動ドアになる」みたいな、そりゃそういう人がいるかもしれないけどそのまま言うな!的なデビルの心は、エンジェルの心で上手く包まないと、裏要素が強過ぎて直視できません。少なくとも私は。
問題は、私の場合がつとにそうなんですが、それが上手くできない。なぜなら、私は「私の悪意」と向き合え無いから、どうやってエンジェルの心で包んで良いのかが分からないのです。
良いな〜と私が思った商品・コンテンツ・サービスは、基本的にはエンジェルの心でありつつも、スパイスのようにデビルの心を使いこなします。最近上手いな〜と思った事例を挙げてみましょう。
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①悪魔のおにぎり
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この「脱・炭水化物」の時代に「おいしすぎてついつい食べ過ぎてしまうおにぎり」ですよ。食べ過ぎてしまう。そんなの「悪魔のささやき」だわ。
実際に食べたんですが、マジで悪魔的なうまさ。もう、こんな感じ。うわーっ、うめぇーっ、悪魔的だぁ。
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②堀江さんの本
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「バカ」の頻度の高さよ。でも、売れてるんですよね。堀江さんの本はデビル要素が強めだけど、その分だけ「この人は本音で語っている」と思っている人が多いのかもしれませんね。
私はそれを「坂上忍症候群」あるいは「バイキング症候群」と勝手に名付けています。とにかく誰かを悪者にして、ひたすら口悪く罵らないと済まない病気みたいなものです。でも、それが人間っぽいんでしょうね。
公式HPの「ブスは嫌い!ブスからの電話はとりませ〜ん」って酷くないですか。でもそれで視聴率が取れているのですから、そういうことを言う坂上忍さんを「ホンネで語っている」と感じているのでしょう。
でも、最近は露悪が過ぎて、視聴率落ちているそうです。いかにデビルとエンジェルのバランスが難しいか。
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③人をダメにするソファ
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ダメになって、いいんですか…。
小学校の時、親から「ダラダラしない!」「人間がダメになる!」って叱られた記憶があるんですが、「ダメ」って許されるんでしょうか…!
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④アテント「下着爽快プラス」
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「履いていることを他人にバレたくない」という羞恥を、エンジェル強めで表現していますよね。共感しやすいですし、すっごく売れているはずです。
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⑤グランビックマックと白鵬
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巨体のデブ(=白鵬関)が肉厚なハンバーガー喰らうって、どんだけ不健康なクリエイティブなんですか。健康のバランスが悪いって病院の先生怒ってきますよ。でも、無性に食べたくなる時があるんですよね。
ちょっと例をあげるとキリが無いんので、ここまで!
このように、エンジェルの心とデビルの心のバランスが取れた商品・コンテンツ・サービスは山のように溢れています。
一方で、バランスが大事だと言っているのに、「ちょっと露悪的の方が良いんじゃない?」と考えて「ナンパしてくる人は減る。ナンパしてくる人の年収は上がる。」みたいな着物着ている人の気持ちを考えないコピーが生まれてしまうのかもしれません。
ただ、データではなく人間を見るって、こういうことを言っちゃう人に対して「賛同はしないし、共感もしないけど、言っている意味の理解はする」と言えないといけないような気がするのです。
理解できない、考えられない、意味が分からない。そんなスタンスで人間が理解できましょうか。すごく矛盾するのかもしれないですが、こういう炎上すら自分の糧にできるのが優秀なマーケターの条件なのではないかとすら思うようになっています。
答えなきマーケターの世界へ
「インサイト」の仕事をするようになって、言葉の持つ力に興味を抱き、コピーライター凄いなって考えるようになりました。この本も買ったのですが今回の事件で味噌もクソも塗っちゃいましたね。
私はエンジニアの世界からデータサイエンスの世界、マーケティングの世界へ足を伸ばしているので、これらの世界で戦っている人は本当に尊敬の念を抱いています。
マーケティングの世界は、答えの無い世界だと感じています。それ正解だよと誰かが言ってくれるわけでもない。商品・サービスの売上で、正解にしなきゃいけない世界だと考えています。
しかも仮説を間違えれば、例えその答えが合っていたとしても間違いになってしまう。問題をどのように解くかではなく、どのような問題を解くかまで考えなければならないから大変です。どちらかと言えば「仮説」こそ大事。
でも、それがマーケティングという仕事なんだなぁ…と最近考えるようになりました。
CVをデータでなく人間として見る難しさ。それが醍醐味でもあるんだろうな、と考えています。