見出し画像

5歳児、発達検査を受けました。

先日、息子の発達検査を受けに病院へ行ってきたので、その話を書こうと思う。

そもそも発達検査を受けるきっかけは、療育の先生から「5歳になったらウィスクが受けられるから、受けてみてはどうか」と勧められたからだった。発達検査はその検査の精度のため内容は非公開だし、結果の見方も知らないので、どの検査が息子に適しているのかとか、いつ受けるべきなのかとか、そういうことは全くわからないので先生から勧めてもらえたことはありがたかった。そして、「受けようと思ってすぐ受けることはかなり難しいので、早めに動く方がいいと思う」というのも、まったくもってその通りだった。

まず最初にかかりつけの小児科へ電話をした。発達検査をやっていないのはわかっていたので、やっている病院を紹介して欲しいのだけれどその為に本人の受診は必要か、と尋ねたのだけれど、受付の方に「うちではやってませんから行政に聞いてください」と突っぱねられた。
次に市役所へ電話したら、「そういうことはかかりつけの病院へ」とたらいまわしにされたので、病院が行政に聞けといったと食い下がったら、担当者から折り返させますと一旦切られた。折り返しかけてくれた方は大変親身な方で、事情を説明すると、地域で発達検査を実施している病院を数件教えてくれた。
その後教えてもらった病院のうちの一軒に問い合わせた。そうすると、発達専門外来に通院している患者であれば、医師が必要と判断すれば検査可能との返答だった。じゃあその発達専門外来にはどのようにアクセスするかというと、①まず電話で母親が困っていることを看護師がヒアリングし、その内容から受診が必要と医師が判断すれば、②発達相談外来を受診し、その上で発達専門外来での診療が必要と判断される必要がある。そして、③発達専門外来での診療方法や方向性を検討するための基礎資料として、発達検査が実施される、という流れだ。

これは私の中の偏見や我が子可愛さからくる判断かもしれないけれど、息子個人に大きな問題は感じていない。けれども、目に見えてわかりやすい何かがない分、丁寧に彼と向き合っていく必要があるとは思っている。2歳の頃受けた検査では、「できることと苦手なことの差が大きい」と言われていて、できることの方が目につく分、苦手なことが手を抜いているように見えたりしやすいそうだ。本人は本当にわからなかったりできないのに、周りがそれを適当にあしらわれたり、場合によっては叱られたりする可能性がある。もしかしたら昨年保育園に行けなくなってしまったのも、この辺りが関係しているのかもしれない。
だから、息子にどういう特性があるのかを検査することで、彼に合った支援を関係各所と共有しながら考えていきたいというのが、検査を受けたい理由だった。
それがまさか、病院と役所をたらいまわしにされた上に、そもそも検査を受けられるかどうかもあやふやだなんて、そんな状況になるとは思っていなかったので、本当にこの時は頭がくらくらした。「お母さんが困ってることをヒアリングさせて頂いて、」と言われたけれど、困ってるのは母親ではなく息子本人であって、それを言語化する能力がまだないから、検査をして彼が何にどこに困っているのかを理解したいわけで。なんというか、そもそも根本的に考え方の切り口が違う、というかんじだった。

そんな紆余曲折があったものの、冒頭の通り検査を受けることはできた。総合病院のヒアリングのあと、発達相談外来の受診が比較的すぐ(1~2週間後くらい)に決まり、医師と話をして、検査を受けられることになった。私がウィスクをと希望したので、半年近く先の5歳の誕生日を越えてからの日程はスムーズに予約できた。もしもこれが5歳を超えてから初診だったら、検査は少なく見積もっても3ヶ月は先になっていたと思う。はやめに動いた方がいいという療育の先生のアドバイスの通りだった。

検査の予約はスケジューラーに入れて、その後は気楽に過ごしていた。けれど、検査が近づくにつれて、私には不安が生まれた。それは、いざ検査をしてみて、何か診断名が付いたとき、私は息子を歪んだ目で見るようになってしまうのではないか、ということだった。
必要があって検査をするし、その結果は活かしていきたい。息子がより快適に健やかに育っていけるようにしていきたい。検査ですべてがわかるわけではないし、大事なのは診断名ではなくて、結果をどう解釈してどう使いこなしていくか。それはわかっているけれど、この不安は、私自身の中にある偏見の問題だ。「発達障害」というものに対する私自身の偏見と改めて向きあうときが来たのかもしれない。

検査当日は9時の予約だった。最初に簡単な診察で体調の確認があって、その後検査が実施された。検査中は別室待機かと思いきや、保護者同伴のもとで実施された。後から他の人に話を聞くと、別室のことが多いようだったので、たまたまレアケースを引いたか、低年齢なのでという検査者の配慮だったのかもしれない。
検査は途中休憩も挟みつつ1時間と少しかかった。内容は触れられないけれど、5~16歳対象ということで、下限の息子からすれば内容もボリュームもかなり大変だったとおもう。私ですら少し悩んでしまうような問題もあったし、もしも自分があの検査を受けたら、終わった頃にはぐったりして、帰り道はお高いケーキのひとつも買って帰ると思う。それくらい密度の濃い検査だった。
検査中は息子の斜め後ろから様子を見ていた。初めましての検査者の先生と何が出てくるか先の読めない検査で大丈夫かしらと心配していたけれど、先生とコミュニケーションを取りながら課題をこなす姿は、私の知らない一面で、息子の成長を感じる機会でもあった。こんなことできるんだなとか、こういうことは苦手なんだなとか、検査を通じて見えるものはたくさんあって、それだけでも受けた価値があったと思う。

検査の結果説明は、およそ2週間後。この記事を書いている段階ではまだ説明は受けていない。検査に同席した後の気持ちとしては、検査前ほど不安はない。
男の子だから、関西人だから、長男だから、ひとりっ子だから…人を決めつける要素は無数にある。人の性格や考え方は色んな環境による影響や傾向があることは事実だと思うけれど、同じ親から生まれた兄弟が、似ていてもそれぞれ違う人格であるように、診断名が付いたからといって、それで息子の何かが決まるわけではない。まあそもそも、診断名をつけるために検査をしているわけではないので、大切なのは、検査結果から日々の生活や支援にどうつなげていくか、ということだと思う。

サポートありがとうございます。嬉しいです!