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あの頃 ①

あの頃

今から、32年前の夏1988年7月僕は当時の中華人民共和国に向かおうとしていました。

さしたる理由もなく。中国に憧れていたわけでもなく。

理由は1つ。共産主義の国に行き、その価値観、考え方の違いを肌で感じたかった。

これだけの理由です。当時まだ22歳ぐらいです。全く若さゆえの暴走です。

期間は1ヶ月でした。

当時バックパッカーという言葉も流行り始めていた頃だったのでしょうか。そこに記憶が全くありません。なぜ行こうとしたのか?

また周りの友達にそんなリュック1つで1人旅をしている人もいなかったでした。

なぜそんな事を考えたのか。未だに思い出せないです。なぜ中国だったのかも思い出せないです。

写真は私が1人旅の最後の地にした、天山山脈(テンシャン)にある天池という湖で、遊牧民が私のカメラをいじっていて紛れた写真です。当時はまだデジカメも

スマホもなく、画像、画質なんて言葉もありません。多分「写ルンです」を持って行っただけだった気がしています。それでこの湖の青さが出ています。

山の湧き水だけで出来た標高の高い場所にあった湖です。

寝転がっているのが私です。

引越しをしているうちに中国に行った当時の写真がこれしか残っていないのです。

1988年の大学の夏休みに行きました。それまで計画を立てて、計画と言っても今でもあるみたいですが、バックパッカーのバイブルといえば「地球の歩き方」

れだけ本当にこの本一冊だけでした。笑 30年以上前に当然インターネットもSNSもありません。そういう意味では当時まだ外国は未知なる星であり、外国人

は未知なる生物でした。ですからなんかスリリングなのです。ワクワクするのです。なんかとそれだけでヒマな大学生の私は行く事を決断した様な気が今はして

います。地球の歩き方は当時も「地球の迷い方」とも別名で有名でした。今ではあり得ないですが、情報が変わってしまうのです。あるはずのホテルがない、

乗れるはずのバスがない、またはその番号のバスがない。。。こんな事はザラでした。中国1人旅もこの連続でした。今から考えると、おそらく発行時期によって

情報が古くなっていたのかもしれません。

大学3年生夏。神戸港のポートアイランドから当時「鑑真丸」という船が出ていました。

今も名前を「新鑑真」と変えて就航しているとネットで出ていました。

次回へつづく

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