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人々とともに、平和をつくる     ~子ども平和図書館@エルサレム~

【パレスチナ事業30周年 ウェブ記事・第六弾】

 JVC会報誌「Trial&Error(通称TE)」で振りかえる「JVCパレスチナ事業の30年」。その第六弾となる今回は、1998年から始まった「エルサレム子ども平和図書館」をはじめとした「平和構築事業」についてお届けしたいと思います。

1997年、文化・教育に関する新プロジェクトのための調査活動が行われました。なぜ「文化・教育」だったかといいますと、オスロ合意以降の和平への期待が高まる一方で、パレスチナの各地域でのイスラエルとの衝突が絶えなかった時代背景も関わっています。当時のJVCパレスチナ事業の方針が綴られた文書には、「対立する民族・国家・宗教という枠組みの中でお互いの文化を尊重しあえる環境を創出し、新しい価値観を創造すべく人材を育成することに重きをおく」と書かれています。

その方針に沿って、1998~2008年の10年間にわたり、JVCはパレスチナで「平和構築事業」を展開していきました。日本とパレスチナの高校生との交流活動、広島・長崎の原爆写真展や平和コンサート、ベツレヘムピースセンターでの長崎の原爆をテーマにした創作ダンスの発表会を含む「No More War」イベントなどなど。
ここでは、一連の平和構築事業のなかでも最初の活動となった、エルサレム旧市街での「子ども平和図書館」の活動を紹介したいと思います。

子ども平和図書館のある「スパフォード子どもセンター」(2022年9月撮影)

駐在員の木村(万)、大澤は9月22日に、エルサレム旧市街にある「スパフォード子どもセンター(SCC)」を訪問しました。

※センターについて詳しくお知りになりたい方はこちらをご覧ください
⇒スパフォードこどもセンターHP:https://spaffordcenter.org/

今回の訪問でお迎え頂いたのは、こちらのお二人。

ジェンティーンさん(Dr.Jantin):
1999~2003年の間、SCCとJVCが図書館事業を担当をしていた元スタッフで、現在もボランティアとして団体を支えている。オランダ出身の小児科医で、SCCが病院だった1968年に研修医としてエルサレムにやってきた。1978年に医師として戻ってきてからは、パレスチナ人と結婚しベツレヘムに住んでいたが、数年前に夫が亡くなり、現在はオランダに拠点を置いている。今回はたまたまパレスチナに来ていたタイミングで会うことができた。

シャーハッドさん(Ms.Shahd):
2017年からSCCに在籍。エルサレムにある英国総領事館などで働いた経験もある。スウェーデンに留学した際にスウェーデン人と結婚して、英国に移住。その間、エルサレムに居住していないという理由で一度IDを剥奪され、2年かけて再取得した。IDの問題以外にも海外での差別などがあり、エルサレムに戻ることを決めた。

写真右からジェンティーンさん、シャーハッドさん、JVC大澤、木村(万)

<SCCの成り立ちと活動>
1925年、現在東エルサレムにあるAmerican Colony Hotelを設立したスパフォード一族が米国から移住してきた際に、小児病院を設立したことが事業の始まりです。

当時のことが記された書籍『Our Jerusalem』:
スパフォード一族の一人Bertha Spafford Vester著

スパフォード一族は今でも資金面でSCCのサポートを継続しています。当時は小児病院も少なかったため、ヘブロン(※ヨルダン川西岸地区南部の中核都市)やガザからも患者が来ていたそうです。1967年の第3次中東戦争後、イスラエルによるパレスチナ全土の占領に際して一旦閉鎖されましたが、1970年から子どもの支援のために活動を再開。1987年の第一次インティファーダの際、学校も閉じられ、大きな心理的ダメージ(PTSD)を負った多くの子どもたちが、頭痛や腹痛、言語障がいなどの症状を患っていたそうですが。その症状から学校に行けなくなることもあり、心理ケアと同時に子どもたちが学校生活に戻れるよう、母親や教師などへの働きかけも開始したとのことです。その後、JVCとの事業が始まり、図書館が設立されました。

当時よりも広く改装された現在の図書スペース

スタッフの方曰く、セラピーの一つとして、卓球や折り紙など、JVCはさまざまな新しい試みを持ち込んでくれたことが印象的だったとのこと。

また日本からも使わなくなったピアノを輸入して提供したり、音楽の専門家を招聘し演奏会を開催するなどの取り組みも行われました。日本全国の家庭で使われなくなっているピアノを活用することで心のケアだけでなく、環境保全を考えてもらう意味もあったということです。こちらのプロジェクトに関しての当時の職員の思いや活動の様子は、本文最後に添付されている「T&E」記事に詳しく紹介されています!

※写真手前で演奏を行っているのが日本からの専門家・ジャズピアニストの河野康弘さん

〈SCCの現在〉
スパフォード一族からの支援のほか、国連人口基金(UNFPA)と"ジェンダーに基づく暴力”についての事業、さらにドイツ国際協力公社(GIZ)と若者への芸術・音楽・演劇などの事業をおこなっているとのこと。コロナ禍前にはUNICEFとの事業でECD(※1)のためにセラピールームを設置したそうですが、コロナで事業はいったん停止しているそう。サマーキャンプではお絵描き、ダンス、旅行、人形劇、卓球、折り紙、チェス大会など「創造的な活動」をおこなっているとも伺いました。

以前からサマーキャンプでは音楽療法、絵画療法などを取り入れて開催されていました

ちなみに以下のT&Eページでは、SCCではなく、現地NGOとベドウィンの村でスタートしたロバを活用した移動図書館の活動も紹介されています。パレスチナ現地の文化理解を深めたうえで、活動を行うJVCならではこちらの活動も是非、知っていただければと思います。

(※1)
"Early child development”の略称。小学校に入る前の就学前教育、いわゆる幼稚園・保育園のことを指します。インティファーダの時期(に限らず残念ながら現在も)に目の前で家族が殺されたり、暴力行為や戦闘を見た小さな子どもたちがショックを受けて話せなくなったり、トラウマを抱えたりしたことあり、精神面でのサポートもとても必要なため行われているプレジェクトだそうです。

ジェンティーンさんが最も心に残っているケースとしてお話してくれたのが、かつて、社会に適合できない子どものことです。それまで学校に行くのも嫌がっていたある男の子が、音楽セラピー(打楽器のタブラ)を受けて才能が見出され、性格も社交的になり、現在は20代半ばでミュージシャンになったそうです!(実際にセンターに通った子どもたちの中には、才能・資質が開花して羽ばたいた方もいることを知り、note執筆者は心が温かくなりました。。)

訪問を終えて
今も図書館が運営され、子どもだけでなく女性のための活動、障がい児のサポートなど多岐にわたる活動を行っており「コミュニティセンター」として地域に根づいていることに感銘を受けました。特に、20年以上も前に寄贈したピアノが今でも現役で使われていることに非常に驚き、きちんとメンテナンスしたり使用していることが伝わりました。

また、ジェンティーンさんは当時の様子を記したメモや写真をきちんと整理しておられ、それをもとに過去の出来事の日付まで正確に答えていただき感動しました。一方、事務局長のシャーハッドさんは敷地を案内しながら今の活動を説明してくれましたが、多くのボランティアやサポーターの存在に彼女の熱意がとても良い影響を周囲にもたらしている印象を受けました。

シリーズでは『Trial&Error(JVC会報誌)で振り返るパレスチナ事業30年の歩み』として、当時の事業や状況を紹介した会報誌の一部を掲載しています。
1998年から開始された「教育・文化支援プロジェクト」にこめたJVCの思いや具体的な活動について書かれています、ぜひご覧ください。
※写真をクリックすると記事が拡大されます。

1999年12月発行「Trial&Error」195号より抜粋(1枚目)
1999年12月発行「Trial&Error」195号より抜粋(2枚目)
1999年12月発行「Trial&Error」195号より抜粋(3枚目)
1999年12月発行「Trial&Error」195号より抜粋(4枚目)


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