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パレスチナの声、イスラエルの声     

【パレスチナ事業30周年 ウェブ記事・第八弾】

 JVC会報誌「Trial&Error(通称TE)」で振りかえる「JVCパレスチナ事業の30年」。
その第八弾となる今回は、2005年にパレスチナ・イスラエルのNGOスタッフを招聘して日本全国9か所で行われたシンポジウム「パレスチナの声、イスラエルの声~医療の現場から築く対話」の報告をお届けしたいと思います。

1992年にオスロ合意が結ばれたものの、その後もパレスチナとイスラエルの対立(主に、イスラエルによるパレスチナへの抑圧や人権侵害とそれに対するパレスチナの抵抗)が続いていました。

2000年9月にはイスラエルのリクード党シャロン党首(当時)がイスラム教の聖地「アルアクサ・モスク」を強行訪問したことがきっかけとなり、「第二次インティファーダ」と呼ばれる民衆蜂起が始まりました。この最中、多くの市民が犠牲になりましたが、検問所で救急車両がブロックされるなどにより治療が間に合わず亡くなるなど、間接的な被害者もたくさんでました。

シンポジウムでは、パレスチナにおいて無医村や難民キャンプで巡回診療をともに行ってきたパレスチナとイスラエルの医療・人権NGOスタッフ2名が登壇し、医療アクセスが困難になっている現地の状況を報告。また、それぞれの立場から、現地におけるイスラエルとパレスチナの共生の可能性について語られました。

パレスチナ人のジハードさんは、「パレスチナ問題は政治的な人災である」と語った一方で、イスラエル人のマスキットさんは、「イスラエルには、パレスチナ人に医療を提供する義務がある」と言います。まさしく、「良心と威厳をもって医を実践する」というお二人の報告は、17年たった今なお、それらの言葉の重みを感じずにはいられません。

シリーズでは『Trial&Error(JVC会報誌)で振り返るパレスチナ事業30年の歩み』として、当時の事業や状況を紹介した会報誌の一部を掲載しています。
パレスチナ自治区における医療と人権の問題について、2005年に日本各地で行われたシンポジウムの様子が書かれた記事です。ぜひご覧ください。写真をクリックすると記事が拡大されます。 

2005年12月発行「Trial&Error」250号より抜粋(1枚目)
2005年12月発行「Trial&Error」250号より抜粋(2枚目)


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