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2つの選挙とその行方

【パレスチナ事業30周年 ウェブ記事・第七弾】

 JVC会報誌「Trial&Error(通称TE)」でふりかえる「JVCパレスチナ事業の30年」。その第七弾となる今回は、2005年から2006年にかけて行われたエルサレムでの「2つの選挙とその行方」についてお届けしたいと思います。

1992年のオスロ合意(Ⅰ)を受けて1996年に実施されたパレスチナ暫定自治政府(当時)の選挙の様子は、以前こちらの記事で紹介しましたが、それから10年近く経った2005年、パレスチナに再び選挙の季節が巡ってきました。

ヤーセル・アラファトの死去(2004年11月)に伴い、2005年1月にパレスチナ自治政府の長官(現在の呼称は大統領)を選ぶ選挙が行われました。結果、既にアラファトの後を継いでPLO(パレスチナ解放機構)議長に就任していたムハンマド・アッバースがパレスチナのリーダーとして選ばれました。アッバースは2022年の今なお現役で、実に17年もの長きにわたってパレスチナ自治政府の中心にいるわけです。

自分たちのこれからの運命を決める人物を選ぶこの選挙。実際、投票する側のパレスチナの人たちはどんな思いで選挙に臨んでいたのでしょうか。詳しくは本文最後の記事をご覧ください。

翌年の2006年1月には、パレスチナ立法評議会(日本の国会にあたる)の選挙が行われました。「民主的なパレスチナ国家樹立のための重要な選挙」として世界中でも注目され、日本も選挙監視団を派遣しただけでなく、選挙の啓蒙活動などのために約72万ドルの資金協力を行っています。

そして、この選挙(第二回パレスチナ立法評議会選挙)の結果、アッバース率いるファタハではなく、対イスラエル武力闘争の継続を主張するハマースが過半数の議席を獲得しました。

その結果を受けて、2006年3月にはハマースによるパレスチナ自治政府の内閣が成立するものの、イスラエルや欧米を中心とした国際社会はハマースをテロ組織と認定し、政権を認めていない状態です。また、パレスチナ内でもハマースとファタハによる内部抗争が続いています。そして、パレスチナはハマースが実効支配する「ガザ地区」、アッバース大統領側(ファタハ)が統治する「ヨルダン川西岸地区」、イスラエル占領下にある「東エルサレム」と事実上分断されることになってしまいました。

その後も、何度となくハマースとファタハが「パレスチナでの選挙」について話し合いを重ねています。2021年には候補者名簿の作成など選挙の準備が進められていたにもかかわらず、5月の選挙直前にアッバース大統領が「エルサレムでの選挙を実施する条件が整うまで延期」との通達を出し、パレスチナでの選挙は実現しませんでした。

直近では、2022年10月にアルジェリアで行われた両者の会談で、1年以内に選挙を行うことが合意されています。しかしながら、過去にも何度か合意したものの、この17年間一度も選挙が実施されることはありませんでした。そのことからも、1年以内の選挙というニュースを聞いたパレスチナ人の期待はどれほどなのかなと思わずにはいられません。

シリーズでは『Trial&Error(JVC会報誌)で振り返るパレスチナ事業30年の歩み』として、当時の事業や状況を紹介した会報誌の一部を掲載しています。
2005年のパレスチナでの選挙をめぐる現地の人びとの思いが書かれた記事です。ぜひご覧ください。写真をクリックすると記事が拡大されます。 


2005年2月発行「Trial&Error」244号より抜粋

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