見出し画像

『武道論考』批判7

(承前)では、なぜ批判と題したのか、メモをご覧になれば自明かと思いますが、おそらく「日本文化としての武道-その技術観と人間観-」と題する小論の“はじめに”「その(武道の)概念や内容はまだすっきりと明確にはなっていないようである。そしてこのような概念のあいまいさは、日本人の伝統的な思考様式による所が大きいと考えられる。」とあり、明解な武道観を持つ鶴山先生からすると武道の概念がはっきりしないところがある等書いてあることにカチッときたのでしょう。しかも、現代剣道(武道)家の立場から分析するその内容にも違和感をもたれたのでしょう。

中林氏は、武道史や武道思想を研究する武道論(武道学)の草創期において重要な役割を果たした先生とされていますから、この小論も発表当時としては画期的だったのかも知れません。
武道論として論考を進める以上「まだすっきりと明確にはなっていない」と書かざるを得ないとも思いますが、実務者兼研究者でもあった鶴山先生から見れば、捨て置けないと思ったのでしょう。

なお、筆者の個人的見解ですが、武道とスポーツの違いは・・・
武道は生き延びる技術であって負けなければよいが、スポーツは基本競技であって勝ち負けをつけなければならないというところにあると思っています。
武道は、身を守る手段として、相手を倒す、逃げるなどなんでもありで、主に、「身を守る手段として、相手を倒す」ことを中心に稽古するのでここだけ見ればスポーツ的にも見えますが、根底の考え方が異なるのです。(完)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?