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合気柔術の技法17

武田惣角が持っていた伝書の中に新陰流の巻物「進履橋」があった。現在は時宗さんが持っているが、この話を聞いた当時は、惣角がなぜこれを大切にしていたのか、その秘密がわからなかった。

昭和57年6月に日本武道大系が発行され、植芝吉祥丸が出した資料に基づく「合気術」が掲載された。これに対する批判の文章を書き始めた。(術から道へ(下)参照)写真資料に「進履橋」の一部があった。発行人は武田惣角、受取人は植芝盛平で、ここに押されている印鑑は大東流のものではない。これは、大正11年に惣角が盛平に教えた「合気柔術」の技法証明として渡されたものであった。同年9月に大本教幹部に教える前提で教授代理の資格を出した際に伝授された。この技法が現在の植芝合気の原典であって、昭和13年に「武道」のタイトルで発表した教本に当時の形(写真)が残されている。盛平名義の教本はもう一冊あって「武道練習」というタイトルである。これは昭和6年に若松町で個人指導を受けた御信用之手84か条を基にしたもので、大東流柔術を簡易化した技法である合気柔術なのである。したがって、大東流3大技法における合気柔術とは違うものである。


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