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術から道へ(下)

昭和57(1982)年6月に日本武道大系が発行されました。この第6巻「柔術・合気術」に「合気術 植芝吉祥丸」と題する項があります。これに対して鶴山先生が寸評(といっても相当なボリュームがあります。)をしているので、その一部を紹介します。

まず、冒頭「『合気』すなわち合気術およびその発展としての合気道は、古来の諸武術の技法とかかわる部分が少なくないと同時に、他の諸武術およびその流れをくむ諸武道とは類を異にする特質もまた顕著な、近来になって確立され、発展し、一般にひろく定着しきたった武道の一分野である。」とあり、術から道へ発展したとする吉祥丸氏の主張が述べられています。なお、鶴山先生によると、この文章も他の吉祥丸氏の著作と同様に氏の資料提供に基づき共著者の一人である老松信一氏がとりまとめたものであろう、とあります。

では、まず「合気術」とは何でしょう?当時の小学館百科事典によると「合気術とは、植芝盛平が戦前に教えた技術をいい、戦後合気道と主張するようになったものと区別するため、戦前派の技法を合気術というようになった。」とあります。盛平の門人に大阪で大月流合気術という流派を名乗っている者もいたそうです。すなわち大東流合気柔術(以後の名称変更を含め)のことを合気術と総称したのでした。

第3段落には「惣角よりうけた大東流柔術の奥義を機に研さんをかさねたあげく、新たに合気道として大成したものである。」とありますが、大東流柔術は合気道の源流ではない(大東流合気柔術の一部が源流)のでこの記載はおかしいのです。
前後しますが第2段落には「技法面においては、たとえば白打、拳法、柔法、骨法(略)その他の古武術に淵源する諸技法を内包することは事実だが、同時に発展過程的にみるならば、その多くはあくまでも試行的に取捨選択されつつ応用同化された技法にすぎないとも、ともいえるのである。」とあります。これは、柔道の歴史観で合気道を分析しようとしたところに基本的な誤りがあります。大東流柔術は諸流派柔術を再構成したものですから、上記ような視点もあるでしょう、しかしながら合気道技法の源流となった合気柔術は剣術由来のものですから完全に的外れなのです。

さて、「道」に関しては、「合気における勝機とはつまり、いわゆる相対的勝敗を超え、不断に己に克つところ絶対的自信の体得をもって至上とし、宇宙根元の気とも合気しつつ浩然として自在に生きることをもって理想とする。」「究極、心身合一・自他和合の合気の境に達することをもって第一義とするのである。」とあります。

そもそも合気道という名称自体は別稿「合気道という名称」で記載したとおりのもので、さらに吉祥丸氏は、こちらも別稿「「武道」では、なくなった合気道」のとおり主張していたハズであり、砂上の楼閣的な論になっているのです。本項も財団法人合気会のために尽力した、吉祥丸氏の盛平を顕彰し合気会を擁護する、という明確な意志のもとに作成されたものなのです。


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