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『武道論考』批判4

これらの“技術感”と称するものは、古武術を知らない人からすると、一見、的確な分析に見えそうだが・・・それぞれに反論等すると、それだけで現小論を超えるものになってしまうから、簡単にコメントしておく。

明確な技術概念と分析が出来ていたからこそ、伝達可能な技術として、すなわち「型」として、まとめることが出来たのである。

「間」「呼吸」「気」いずれも純粋技術論として明確なものである。一部の者が精神性と結びつけたり、わかっていない者がそのことを誤魔化すために、煙に巻いてややこしく見えるだけであって、間の定義、呼吸の使い方、合気と気合など明解そのもの。

型は分析的アプローチ(微分的な)と論理思考によって抽象化されたものといえる。そこがわからずして体感・体得はできない。(出来るとすれば、天才か、非常に長い時間がかかるものである)

型や技に機能美を感じるのは感性の問題であり、結果論である。機能を形式の中に押し込め抑制の美を追求したわけではない、芸能ではないからだ。技が習熟すれば本来ヒトがもつ能力が充分に発揮されるということであって、このことが直接精神論に結びつくということではない。

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