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武田惣角と大阪との関わりについて11

(承前)戦後、植芝流「合気道」が普及されるようになり、「関西合気道倶楽部」と称して指導しており、その後大東流合気武道が普及されるようになり大東流合気柔術琢磨会を組織して普及し、久の高弟森恕氏が琢磨会会長となり現在に至っている。
一昨年より大東流合気武道大阪大会と銘打って演武大会が行われ総本部からも私を初めとして指導演武を行った。今年で3回目を迎えるが琢磨会がどのような発展をとげてゆくのか非常に興味深くながめている。
これからの展望を見守っていきたい。(了)
 
補足説明:以上が「武田惣角と大阪との関わりについて」の全文です。
「戦後、植芝流・・・」もこの文章からは、ニュアンスが伝わらないと思いますが、既述の投稿がありますのでここでは触れません。
史実(事実)は一つですが、その解釈・評価はそれぞれの立場により、
また、理解の程度により異なります。どの史実を取り上げ(又は採用しないで)、どうつなげるかで違った見え方がします。それぞれの史実(事実)自体は正しくても、全体としてみると何かおかしい、こういったことはよくありますね。歴史とは、そもそもそういうものなのでしょう。(完結)


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