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大東館と琢磨会(上)

琢磨会では柔術を、大東館では柳生系合気柔術を知りたくて相互に交流したと聞いたことがあります。関西においても、中津平三郎(朝日新聞社守衛・柔道五段)教授代理の門下の蒔田完一が柔術118本の写真入りテキストを自ら作成していることから、久琢磨を筆頭とする朝日新聞大阪本社のメンバーは惣角から柔術を習ったことは確実ですが、琢磨会のメンバーには伝わらなかったからでしょう。一方、時宗氏側からすると、自ら名乗った宗家について、久琢磨が尊重してくれたことに意を得て、自分が知らない技法を学び、あわよくば傘下にしたいと思ったのかも知れません。このことを前提に鶴山先生のメモをご覧ください。

合気柔術は2種類あるというと、奇異に感じる人が多い。これは合気柔術とは何ぞや、を全く知らぬ者が、柔術の技を簡易化(崩)して、これを合気柔術と称しているからである。もっとも柔術第3か条以降を合気柔術と称するので、小野派系柔術系の人からすると、何を言っている???ということになるだろう。久琢磨が残した合気柔術は柔術を簡易化したものとは全く違うものである。
ここにきて、やっと時宗氏も理解してきたように見えるが、逆に攻勢をかけてきた。

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