見出し画像

大東館と琢磨会(下)

今年(昭和53年ごろ)の関西演武大会(琢磨会第3回大会)の進め方は、時宗氏は欠席したが近藤(勝之)氏が出席し小野派系柔術が表に出ている。森 (恕)氏が会報を送ってきた。この意味は色々考えられるが、やはり近藤の動きが気に入らないからであろう。また、北海道の時宗氏関係者から突然暑中見舞いが来た。最近会報の送付をストップしているため、動きがさっぱり判らなくなったので、私(鶴山先生)の行動を知りたいためであるらしい。この返事は考えなければならないが、このことは森氏に知らせておかねばなるまい。森氏には関西合気界を統一するという考えはないが、時宗氏との交流でもっと研究したいと考えていると思う。

今回は手紙を書き、古武道保存映画制作の件は富木氏と久氏の間で想定外の方向に進んだが、そもそものチャンスは私が与えたことを知らせること、時宗氏が久氏を利用したことに対する私の警告と自責、時間の問題でこれらのことも解決する意志があること、を伝えておいた方がよい、と考えている。また、会報と号外を同封することで、更に研究が進んでいることをニオワセて置いた方が良いのではないか、と思う。
さて、北海道は今しばらくそのままにしておく、そうでないと、近藤氏がACCにスパイを送り込んで会報を手に入れる努力について、教えてしまうことになるからだ。大東館の新聞では、盛んに大阪との関係をいっているが、これはやはり時宗氏のあせりで、関西とはうまくいっていないことが窺える。
森氏は信頼の出来る男と思うので、交流は続けるべきである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?