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謝礼問題

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謝礼問題とは、植芝盛平と武田惣角のそれぞれの後継者たちの反目の原因となっている金銭問題のことです。盛平は惣角を大本教本部に招聘し初めて江戸柳生系合気柔術の指導を受けました。この時…
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謝礼問題4

謝礼問題4

ところが、盛平はこの約束を破ったのです。
大正14(1925)年から竹下勇海軍大将ら海軍関係者からの要請で何度か上京し、関係各所で指導していた盛平は、昭和2(1927)年には大本教から離れ武道家として東京に進出したのです。

惣角からは入門者1人につき10円の謝礼を取るよう言われていましたが、生活の面倒をみてもらっていた大本教の一般信者からは謝礼を取りにくかったことは想像に難くないし、東京で指導し

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謝礼問題1

謝礼問題1

これは植芝盛平と武田惣角のそれぞれの後継者たちの反目の原因となっている金銭問題のことです。
ことの発端は、大正11(1922)年4月植芝盛平が武田惣角を京都府綾部の大本教本部に呼んで合気柔術の指導を受けた際の謝礼の行方にあります。

当時の大本教文献によると惣角に支払われた謝礼金は4~9月までの半年間で4,000円(≑1,600万円、小学校教員の初任給を基にすると1円は現在の4,000円の価値(三

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