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看護師の仕事をしていて

しばらくぶりの投稿です。

前回までの記事に自分の足の病気にまつわる出来事を書きました。

なぜ、そこを書こうかと思ったかというのを今日は書いてみようと思います。

私は今看護師をしています。

訪問看護師として現場に立たせてもらっています。

一度は現場から降りる経験をしました。

まっ休憩だったんだなぁと、今になって思えばそうですが、当時は自分の不甲斐なさに毎日泣いていました。

幼少期の出来事から私は患者さんのためにできることはなんだろう?

何かできなければ価値がないと思い込んでいたのかもしれません。

現場ではもちろん看護師としての役割があって、その役割を何かしらの形で実行しミスなく提供しなければいけません。

しかし、それを自分自身と丸ごと一体化させすぎていたのだと今ならわかります。

そうこうして休憩を終えてから再就職をしました。

保育園という特殊な場所です。

当時は、保育園で看護師としての役割は確立されておらず、右も左も分からない。

現場も私を(看護師)どう扱えばいいのか?それもわからない。

日々悩みました。

そのことも踏まえて自分の半生を振り返ると、『コミュニケーション』がテーマになることが多かったのです。

そこから私は心理学やセラピーなどを学ぶことになりました。

精神科という領域にも興味もあり、関係が深い研修にも何度も通いました。

免許や資格に興味があるというより、日々の看護の現場や実際の目の前の関わりに役立てたい一心かな?

足の病気を機会に入所していた施設で得た経験がここですごく繋がってきていました。

解剖学的な理論だけではなく痛みや苦しさへの理解や気づきを看護師と共有しづらい事にも気づきはじめていました。

現場で肌感覚で感じていること。

患者さんが考えていることやその人の人生の背景に看護の現場はあまりにも興味関心が低いこと。

いや、そうではなく、そこに時間的なゆとりがなかったり、価値を見出せない(評価も含めて)状況なのかもしれない。そんなことを感じはじめていたのです。

続く

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