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私のサッカーノート/#26 為保 美月(関西第二代表 明治国際医療大学)

①サッカーとの出会い
私がサッカーと出会ったのは小学4年生の頃でした。
最初は知らない男の子ばかりのチームに女の子1人で最初は怖かった記憶がありますが、いつの間にかサッカーに夢中になり、のめり込んでいました。段々やれる事が増えサッカーが楽しくなり家の前のコンクリートで暗くなるまでボールを蹴っていたのを覚えています。
そんな私ですが中学3年間は姉の強い影響でバレーボール部に入部しました。サッカーとは一時期離れたこの3年間ではメンタル面でかなり鍛えられました。そしてその反面私にはバレーボールは向いてなく、サッカーしかないと気付かされました。
またサッカーがしたいと強く思った私は、女子サッカー部の1期生として東海大学付属福岡高等学校に入学しました。
まだチームの基盤も作れてない16人しかいない私たちは毎日怒られてばかりで、最初の1ヶ月はまともに練習する場所もなく走ってばかりでした。学校生活では怒られてばかりで、それが原因で1度大喧嘩までもすることがありました。それがあったからこそ、そこから学び少しずつチームになっていき卒業する頃には60人近いチームを作り上げていくことが出来たと思っています。
ずっとベンチ止まりで試合には出場する機会はありませんでしたが、素直に応援したいと思えたチームメイトとの出会いは一生の宝ものです。そして毎日送り迎えをしてくれ、どんなに遠くでも、試合に出てなくても、応援にきてくれた親に感謝しています。
私にとって高校生活でのサッカー人生は「最高」この一言につきます。

②大学生活と大学サッカー
私は初めて地元の福岡を離れ、京都の山に囲まれ緑豊な大学で多くの友達や後輩と寮生活をしています。私は国家資格取得の為、人生で一番と言っていいほどの勉強量に圧倒されています。こんな時、寮生活をして良かったと思うのは帰る場所がみんな一緒だということです。分からない事があれば教えてくれる同期がすぐそこにいるという安心感は計り知れないです。また、寝坊をして授業に遅れそうになっても笑いながら起こしに来てくれる友人もいます。サッカーで上手くいかず落ち込んでいたらドアの前にそっとお菓子を置いてくれる人もいます。意味もなく部屋に突撃してきてたわいも無い話をする日もあります。リビングに集まってはサッカーについて夜遅くまで語り、寮監さんに「もうそろそろ部屋帰って〜」と、叱られる日もあります。グランドで1人でボールを蹴る日もあれば、トレーニング室でみんなで筋トレをする日もあります。
私にとっては4年間辛いことの方が多かったけど、それ以上に楽しいと思わせてくれたチームメイトのみんなには感謝でいっぱいです。
大学から始めた初心者GKの私が、ここまで成長することが出来たのはみんながかけてくれた言葉一つ一つのおかげです。
電車は1時間に1本、周りには山とコンビニ1つしかない、朝6時半から雪の上でサッカーというこんな生活を共に乗り越えてきたみんなの為にも私は最後まで体を張り続けたいと思います。
最後に、ここまでサッカーを続けさせてくれた家族、天国にいる祖母、いつも応援してくれる友人のみんなに感謝して、最後のインカレ全力で楽しんでいきたいと思います!!

③将来のビジョン
私は柔道整復師の国家資格を取得し、大学で学んだ知識を活かし、スポーツ選手に特化したスポーツジムを開設したいと思っています。また、多くのスポーツ選手をサポートできるようなトレーナーになりたいと考えています。
しかし、大学卒業後はまだサッカーを続けようと考えています。サッカーを続け自分自身が選手として経験しながらトレーナーの勉強をしていく予定です。
大学に入った頃私は筋肉量が全くなく、誰が見ても「ガリガリ」という状態でした。
1回生の時のインカレ初戦終了後、腰の怪我により立てなくなり4ヶ月程サッカーから離脱することになりました。それを機に怪我予防のため筋トレ始め、自分自身効果を実感することができました。
それから本格的に独学で筋トレを始め、競技パフォーマンスも上がり、体格も変化していくのがわかりました。このような経験から、同じように怪我で苦しんでいる人や、パフォーマンス向上を目指している人にトレーニングを教えたいと思いこのビジョンを抱くようになりました。まだまだ勉強不足ですが、まずは国家資格取得に向けて勉強を頑張りたいと思います。そして将来は、トレーナーとして有名になって、親に恩返しができるよう今を全力でがむしゃらに突き進みたいと思います!
この22年間助けられてばっかの人生だったので、これからは色んな人に恩返しがしたいです!

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