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#18 溝上 可夏の花が咲くまでの道(関西第2代表 明治国際医療大学 2年)

①カコ

私は小学校4年生の時に兄の影響でサッカーを始めました。
小学校の頃は兄と同じ少年団に入り楽しくサッカーをしていました。

中学生の頃は、通っていた学校の部活動と女子のクラブチームに入りました。
中学校のサッカー部では周りの男子部員に体格やスピードで勝てなくなり、とても苦労した記憶があります。
しかし、そのおかげで体の強さや間合いの取り方などで勝負する力を身に付けることができました。
同期にも恵まれ、最後まで楽しくサッカーをすることができました

高校では地元ではなく、県外で寮生活をしながらサッカーをしました。
親元を離れての生活で、最初は慣れないことばかり、きついことがたくさんありました。
寮生活をするまで、親に頼ってばかりで甘えていたんだなと感じ、親の有難みが身にしみて分かりました。

今までのサッカー人生では怪我や挫折でサッカーが嫌になり、
離れたいと思うことも多々ありました。
しかし、どんな時も支えてくれて遠い試合会場にも応援に来てくれる家族、サッカーを通して出会えた仲間や指導者の方など
たくさんの人たちのおかげでサッカーを続けることができています

その感謝をピッチで体現できるようにしたいです。

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②スイッチ

私は中学校卒業後、鹿児島県にある神村学園高等部に入学しました。
「日本一」という大きな目標を掲げ三年間厳しい練習の中で切磋琢磨してきました。
この高校3年間は私にとって一生の宝物で自分を変える事ができたきっかけの場所でもあります。

私たちの学年は16人もおり、沢山問題を起こして先生や先輩にたくさん怒られました。
人数が多いことから意見が合わないこともあり、言い合いをすることも多くありました。
最初はこの学年で三年間やっていけるか不安でした。

しかし、毎日家族のように生活を共にして苦しい練習も一緒に乗り越えていくうちに、
この学年で良かったなと思えるようになりました。
自分が悪いことをしたら衝突を恐れず真っ直ぐに叱ってくれる
喜びはみんなで共有する
本当に仲間思いの学年でした。

一人一人に良いところがあり、サッカーでも日常生活でも尊敬できる人たちです。
この人達がいたから三年間やりきる事ができたし、一緒に心身ともに強くなれたと思います。

高校最後の選手権ではこの仲間と頂点をとって最高の景色を見たかったのですが、
日本一には一歩届かず悔しい思いをしました。
しかし、一番長い冬を過ごす事ができたのは一生の宝物です。

高校卒業してそれぞれ違う道になった今でも大切で頼れる存在です。
16人だったからこそ沢山の困難を突破する事が出来ました
この16人との出会いが自分を変えてくれました
「おてんば娘」のみんな、ありがとう。

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③ミライ

私の将来の夢はまだ明確には決まっていません。
このままサッカーを続けるのか、新しい道に挑戦するのかもまだ定まっていません。

今までの十年間のサッカー人生は私に色々なものをもたらしてくれました
サッカーで沢山の人に出逢い、私を変えてくれました。
そんな自分の生活の一部になっているサッカーから離れる人生なんて全く想像もつきません。

ですが、そのサッカーの経験を生かして新しいことに挑戦することも、人生においていい経験になるのではないかと考えています。
どの道を選択するにしても人との繋がり、挑戦し続ける事を大切にしていきたいと思います。

「誰かのために」動くというのは簡単なことではありません。
しかし、「誰かのために」動ける人は強く逞しいです。
私もどんな人生を歩むにしても「誰かのために」動ける人になりたいです。

そしてここまで何不自由なく生活できているのは紛れもなく両親のおかげです。
誰よりも1番に応援してくれた両親には感謝してもしきれません。
大好きな家族に恩返しができるようにこれからも何事にも全力で取り組みます

大学卒業まであと2年。
自分の人生に後悔しないようにじっくり考えて将来のビジョンを明確にしていきたいです。


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