見出し画像

#2 土井 咲良の花が咲くまでの道(東海第1代表 名古屋経済大学 4年)

①カコ


 私は小学1年生から3つ上の兄の影響でサッカーを始め、小学生の頃は6年間男子チームに、5年生からの2年間は女子チームにも所属していました。両チームに所属していたからこそ、そのチームでの良さや難しさを学ぶことができたと思います。

中学生に上がってからは、先輩達の技術やプレーに圧倒され練習についていくことだけで精一杯でした。
このことが原因で練習に行きたくないと思うこともありました。
しかし、中学1年生の冬にフットサルで初めて全国大会に出場することができました。そこでメンバーに入ることができ、少しの時間でも試合に出場できたことは自信に繋がりました。
しかし、嬉しいという感情だけでなく、決定的な場面で外してしまい勝利を掴めず悔しい思いをしたことも事実です。様々な感情が溢れる中学生時代でしたが、あの時必死に練習についていって良かったと今では思っています。

高校では、お母さんと2人で神奈川県に移り住み、公立の高校でサッカーをしました。この3年間はなかなか結果が付いてこず、悔しい経験が多い時間となりました。だからこそ、頑張ることの大切さ人間性の部分仲間の存在がどれだけ大きいかを人一倍学ぶことができたと思います。

画像1


②スイッチ


私にとって1番のターニングポイントはだと思います。

大学3年生の冬に膝を怪我して手術をしました。今まですぐ治るような怪我しかしてこなかった自分にとってこの怪我は今までで1番と言っていいほど苦しいものでした。
なので、初めてサッカーが嫌いになったかも知れません。

手術前も、術後もサッカーに復帰する為にリハビリをしないといけないのにリハビリをすると怪我をしてしまった時を思い出してしまい前向きになれない時もありました。
どん底まで落ち込み毎日毎日なぜ自分が怪我をしてしまったのか、何に原因があったのか復帰した今でも考えます。

しかし、怪我をしてしまった事は変えられないし、
この怪我を乗り越えて更に強くなれるかは全て自分次第だ
と考えられるようになりました。

そう思えるようになったのはたくさんの方々のおかげだと思います。リハビリの先生、トレーナー、監督、先輩、仲間など自分が納得できるまで話してくれて、聞いてくれて色んなサポートをしてもらい少しずつ前向きにリハビリに取り組むようになりました。復帰した今もまだまだ怪我の前のプレーにはほど遠いですが、少しずつでも前のプレーに戻り、それを上回ることができるように1日1日意識してプレーをすることが今自分にできる最大限のことだと思っています。

画像2


③ミライ


これからの人生の目標はまだ具体的には決まっていません。
しかし、多くの時間を笑顔で過ごすことができるように進んでいきたいと思っています。

そこで、まずはこのインカレで1つでも多くの試合に勝利し、チームのみんなと笑い合いたいです。

インカレへ懸ける想いとして、私の中にはもうひとつ強い気持ちがあります。
それは、自分がインカレの舞台でピッチに立つことにより、
支えてくれた人たちへの感謝を伝えることです。
去年の怪我で約1年間公式戦から離れた時、本当に多くの人に助けられ、サポートしていただきました。
その人たちに恩返しをするためにも、自分がインカレの舞台でプレーしている姿を見せることが一番だと思います。
まずは開催していただけることに感謝し、一戦一戦目の前の試合に全てを懸ける、それができれば必ず結果は付いてくると思うからです。
毎年悔しい思いをしてきたからこそ、大学最後の年に最高の舞台でサッカーができることに心から幸せを感じます

大学生活の中で、共にこのインカレ出場という目標に対して毎年一緒に戦ってきてくださった先輩方の想いも私たちは背負って戦います。
だからこそ最後まで結果にこだわり、楽しんでサッカーをしたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?