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日本でコロナワクチンが任意接種である理由 【憲法が改正され緊急事態条項が加えられたときのための法理論武装】

 すでに、日本国民の約70%がコロナワクチンを2回接種してしまったようです。
 これ↓↓は内閣発表のデータ(2021年11月15日現在)です。クリックでリンク表示します。

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 強制ではなく、任意接種であるにも関わらず、70%もの国民が、あんな得体の知れない劇薬を射ってしまうのですから、日本人の国民性は誠に従順ですね。それは良さでもあり、弱さでもあるような気がします。もちろん、いわゆる同調圧力に耐えられず、泣く泣く射ってしまうに至った人たちも大勢いらっしゃると思います。悔やんでも悔やみきれません。人ごとではありません。明日は我が身かも知れません。

 このコラムは、少々ややこしい”判決とか法律の話”になるのですが、非常に大切なことなので、ちゃんと書き記しておきます。

東京高裁判決・平成4年12月18日 (判時1445号3頁 )

 昭和27年から49年までの間に、予防接種法(昭和51年の改正前)に基づいて、国が実施あるいは国の行政指導に基づき地方公共団体が実施した予防接種の結果、死亡ないし重篤な後遺症を蒙った被害児62名につき、生存被害児や両親など159名が原告となって、国に対して損害賠償・損失補償を併合して請求したものである。

 本判決は、第1審東京地裁判決昭和 59・5・18 判時 1118号 28頁が容認した損失補償請求を否定した上で、小樽種痘禍訴訟の最高裁判決平成3・4・19 民集45巻 4号 367頁の論理に則り、除斥期間経過による請求棄却(3名)を除く全員に対して国家賠償請求を認めるものであった。 

(引用元『予防接種禍と国家補償』(抱 喜久雄/憲法論叢創刊号/1994年4月 )
https://www.jstage.jst.go.jp/article/houseiken/1/0/1_KJ00003600818/_pdf/-char/ja

 我が国の、任意接種を基本原則とする現行の予防接種行政の根本は、国家賠償責任を認めた上述の判決結果を受け、平成6年(1994年)に予防接種法が改正されたことにあります。

 同法第九条が、以下のように改正され、『接種義務』だった予防接種が『接種努力義務』に緩和されたのです。

予防接種を受ける努力義務
第九条 第五条第一項の規定による予防接種であってA類疾病に係るもの又は第六条第一項の規定による予防接種の対象者は、定期の予防接種であってA類疾病に係るもの又は臨時の予防接種(同条第三項に係るものを除く。)を受けるよう努めなければならない。
 前項の対象者が十六歳未満の者又は成年被後見人であるときは、その保護者は、その者に定期の予防接種であってA類疾病に係るもの又は臨時の予防接種(第六条第三項に係るものを除く。)を受けさせるため必要な措置を講ずるよう努めなければならない。

 その起点となった東京高裁判決の判決文から、下記に、核となる部分を抜粋しましたので、法律に関わる文章は長くて難解ですが、ご辛抱いただいて、この際、ご一緒に、しっかり確認しておきましょう。

第三 損失補償請求について

一 損失補償請求の訴えの適法性の有無 
5 ……より抜粋

ところで、予防接種による重篤な副反応事故の場合を考えると、ここでいう副反応事故とは生命を失ったり、それに比するような重大な健康被害を指すのであるから、法が予防接種を強制する結果として特定の個人にそのような重大な被害が生ずることを容認しているとは到底解することができない。個人の尊厳の確立を基本原理としている憲法秩序上、特定個人に対し生命ないしそれに比するような重大な健康被害を受忍させることはできないものである。予防接種によりまれではあるがそのような被害が生ずることが知られているとしても、そのことから直ちに、法が特定個人に対するそのような侵害を許容している(特定個人にそのような被害を受忍することを義務付けている)と結論付けることは到底できないものといわなければならない(なお、このようにいうことから、逆に法が予防接種を国民一般に義務付けること自体が直ちに違憲であるなどということにはならない。当該予防接種制度の公益性、公共性を考えると、法秩序上是認できない損失がまれに生ずるとしても、制度全体としては、これを適法かつ合憲と評価すべきものである。)。講学上の人的公用負担においても、このような生命ないし健康に対する重大な侵害までを負担内容として認めることはできないものである。このように、法は予防接種を義務付けているが、予防接種の結果として重篤な副反応事故が生ずることを容認してはいないのであるから、客観的にみると(現在の医学でその結果を事前に具体的に予見できるかどうかは別として)、ある特定個人に対し予防接種をすれば必ず重篤な副反応が生ずるという関係にある場合には(予見できないためその判断が事前にはできないとしても)、当該個人に対して予防接種を強制することは本来許されないものであるといわなければならない。その場合は、予防接種の強制の事前差止めを求める余地さえ生ずる可能性があるということができる。それ故、法一二条は、「腸チフス又はパラチフスの予防接種を行うときは、あらかじめその予防接種に対する禁忌徴候の有無について健康診断を行わなければならない。禁忌徴候があると診断したときは、その者に対して予防接種を行ってはならない。」との規定を置き、また、法一五条を受けて、厚生省令等の形式で、禁忌や予診についての規定を設けて、重篤な副反応事故が起こる蓋然性の高い者を予防接種の対象から除外する措置を採っているのである。このように、予防接種により重篤な副反応が生じた場合には、本来当該個人には予防接種を強制すべきでなかったという意味で、予防接種の強制は違法であったということができる。また、予防接種を受けるかどうかを形式的には国民の任意に委ねている勧奨接種の場合も、その実態が、後記認定(第四の二2(一)(2)***)のように、強制接種と変わらないものであるとするならば、右の議論がそのまま妥当する。

 つまり、『法が予防接種を国民一般に義務付けること自体が直ちに違憲であるなどということにはならない』——と、しながらも、

 ① 『個人の尊厳の確立を基本原理としている憲法秩序上、特定個人に対し生命ないしそれに比するような重大な健康被害を受忍させることはできない』

 ② 『予防接種の結果として重篤な副反応事故が生ずることを容認してはいないのであるから、客観的にみると(現在の医学でその結果を事前に具体的に予見できるかどうかは別として)、ある特定個人に対し予防接種をすれば必ず重篤な副反応が生ずるという関係にある場合には(予見できないためその判断が事前にはできないとしても)、当該個人に対して予防接種を強制することは本来許されない』 『その場合は、予防接種の強制の事前差止めを求める余地さえ生ずる可能性がある』

 ③ 『予防接種により重篤な副反応が生じた場合には、本来当該個人には予防接種を強制すべきでなかったという意味で、予防接種の強制は違法であったということができる』 『予防接種を受けるかどうかを形式的には国民の任意に委ねている勧奨接種の場合も、その実態が***強制接種と変わらないものであるとするならば、右の議論がそのまま妥当する』

 ——と、予防接種(ワクチン接種)を強制することは違法であると、明確に裁定しています。

 たとえ任意接種であっても、『実態が***強制接種と変わらないものであるとするならば違法であると言える』のなら、現在進行形のコロナワクチン接種も、同調圧力を”もろに”被っている人たちにとっては強制と変わらないのですから、この判決の精神に従えば、違法性を帯びていると考えられますし、政府は近々にも、ワクチン検査パッケージを活用するなどと称し、社会生活の諸々の場面にワクチン接種を絡めてくるようですから、これもまた、実質的な強制になるとも思え、違法性を強く臭わせています。この判決の精神が、ワクチンパスポート政策批判の有効な武器にもなりそうです。

***第四の二2(一)(2)

(2) 他方、法に基づく強制接種としてではなく、特別の法的根拠に基づかない行政指導として、一定のワクチン接種を国民に勧奨し、これを希望する者に対して自治体が主催して接種を実施するいわゆる勧奨接種も実施された。この勧奨接種は、国が広い意味でその施策として遂行するものであって、厚生省当局において実施の具体的内容等を詳細に定めて、それを通知等の形で地方自治体に流して地方自治体の実施方を管理指導し、それを受けて地方自治体が住民に勧奨してその実施する接種を受けさせるというものである。この場合の国と地方自治体との関係は、地方自治法二四五条の助言・勧告ないし直接的な法的根拠を持たない行政指導の関係と解されるものであるが、地方自治体としては選択の余地なく、国の指導に従って勧奨接種を実施してきたものであり、また、勧奨を受けた国民の側も、勧奨接種と強制接種の違いについて特段意識することなく(国や地方自治体も、勧奨に当たり、この点を特に区別して説明していないのが普通であった。)、勧奨された予防接種は、法に基づく強制接種と同様、当然受けなければならないものと考え、接種を受けるという実情にあった。 

 もしも将来(そう遠くない将来かも知れませんが)、憲法が改正され、緊急事態条項が盛り込まれてしまうようなことになった場合、しっかり監視しなければならないのは、この東京高裁の判決(司法府の判断)を覆してまで、政府(行政府)が危険なワクチンあるいはそれに準ずる薬剤類を、国民に強制接種させるような暴挙に踏み出すかどうかです。

 いかに、何らかの緊急事態を受け、内閣(行政府)の緊急決定が即時に法律化して強制力を持つとしても、上述したような厳格な論理で組み立てられた司法府の判断(しかも既に政府はその判断を受け入れている)を蔑ろにすることができるのか、という、強力な問題意識を、私たちは忘れること・怠ることなく、保持し続けなければならないのです。

 しんどい話で、私もイヤなのですが、こんなことを覚悟しなければならない世の中=時代に、もう突入してしまっている現実を、ご一緒に、しっかり認識しながら、日々を過ごしてゆくといたしましょう。

 かくの如く、私たちは、もはや『まったく新しい種類の戦争』の真っ只中にいるのです……。