TOKYO 2020 オリンピック・パラリンピックが終わってしまった
TOKYO 2020 オリンピック・パラリンピックが閉幕した。思えば、開催が決まったのは2013年9月8日。たしか、8年前のあの時は、
>>せっかく東京開催が決まったのだから、今から、その日・その時がやってくるのを励みに、しっかり生きてゆこうと頑張る人たちのためにも、素晴らしい大会になるよう、精一杯、盛り上げたいものだ<<
といったような事を、自分のFacebookかどこかに綴った記憶がある。
新コロの偽パンデミックに巻き込まれての1年延期。あれやこれやで、直前まで開催が危ぶまれたが、アスリートたちの溌剌とした表情を見ていると、やはり開催して良かったと思う。
本質的に、オリパラの主旨や精神は素晴らしい。
>>スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え(人種や文化、宗教、価値観などの多様性を尊重する)、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献する(世界平和に向けて活躍できる人間を育てる)こと<<
*** 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会ホームページより転載
しかし、裏で世界を操っている『奴等』が、
>>近年では従来のテーマである「スポーツ」と「文化」に「環境」が加わり、オリンピックは世界中の人々が地球環境について考える機会にも……<<
*** 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会ホームページより転載
このオリパラを存分に利用しているのを感じてしまうと、私は、途端に不愉快になり、
「こんなオリンピック、廃止にしてしまえ!」
と、怒鳴りたくなる心境に転じる。
兎にも角にも、惑星・地球全体の周波数が上がっているそうなので、これまでは、敢えて掘り起こさなかった『奴等』の悪事の数々が、ここへきて、やたらと目に付いて仕方がない。
要するに神様が、わざと『奴等』の悪事を、あからさまに見せてくださっているのだそうだ。最低の悪事を生々しく知ることで、逆に、気高く麗しい善行が如何なるものかが見えてくる。その感覚が、人類の意識を覚醒へと導き、真に正しい新世界の開闢が、人びとのパワーによって実現するかも知れないということらしい。
3年後のパリ大会までに、私たちの世界は、どうなってゆくのだろう……。