私「が」病気じゃないんです
こんにちは。
NLPメンタルコーチ/ライフコーチのまえかわです。
いつも通り突然ですが、甲状腺って、ご存知ですか?
喉仏の下にある臓器で、カラダ全体の代謝を促進する働きがあります。
ちなみに、私は自分が大人になって、バセドウ病に罹患するまで、ほとんど知りませんでした。
若干不本意な気持ちを持ちながらも、もう10年以上のおつきあいになります。
仕事や色んなことにハマって人間としての生活がおそろかになる度に、存在を主張してくるような気がするバセドウ病さんですので、なんとか上手いお付き合いのやり方を!とは、最近、とみに思っております。
そんな私ですが、
「私は、バセドウ病です」
とは言わないように、注意を払っております。
「私が、バセドウ病」では、ないんです。
「私=バセドウ病」では、ないんですね。
私とバセドウ病さんは、不可分で一体の、同一存在ではありません。
バセドウ病さんは、私の全部ではなく、あくまで私の身体の一部の反応でいらっしゃいますからね、
私がより健康な生活を送るようになった後には、お休みいただいて距離を置くまたはお別れをする予定ですからね。
ありがたい学びをいただいた後は、私とは切り離し可能な別個の存在ですよ。
じゃあ、どう言ってるかと言うと、
「私は、バセドウ病とお付き合いがあります。」
「私は、持病があって、バセドウ病です」
というような感じで、必要がある時は言ってますかね。
あえて言いまわることはしませんが、その病状があることも否定はしてませんので、まあ、存在は受け入れているのか、な?どうかな?
持病も、「慢性的、断続的、長期的なもの」と言う意味合いがあるかとは思いながら、「私=病気」よりは、個人的にまだ全然マシというか、
自分に与える影響が、随分と違うように思っています。
「持つ」ことができれば、「手放す」こともできる、と私には思えますので。
自分とは切り離し可能なものとして、認識ができると言うことは、とても大きなことです。
あるいは、自分の全部でなく、あくまで一部分であり、そんな部分もあるよーくらいにしておくのは、どうでしょう?
「だから何?ただの詭弁でしょ?」
「言い方を変えたって、事実は変わらないでしょ?」
と私も思っていたこともあるので、そんなご意見も、まぁあるかなとは思います。
でも、違うんですね。
違うんですよ。
私たちは、言語を使って現実を認識しますし、同時に、言語を使って現実を創り上げていきます。
ものごとの、どこにどのように注目するかによって、現実が変わっていきます。
このことは、スピリチュアルな話ではなく、おそらく意味論的な話で、人間がどのように主観的な世界を構築しているかと言うことです。
だから、相手がどのように言葉を使うかに意識を向けてみると、その人が頭の中で、どのような世界や未来を形作っているのかの手がかりを知ることができます。
ここら辺の話は、広くて深いので、まだ私も上手く整理してのご説明が難しいのです。
これも、下記だと、随分と印象が変わってきませんか?
まだ私も上手く整理してのご説明が難しいのです、⦅今はね⦆
まだ私も上手く整理してのご説明が難しいのです、⦅まだね⦆
だいぶ色々と話が混ざりましたが、、、
自分にとって、相手にとって、優しい形、楽な形になるように言葉を使っていくことができると、現実の心持ちも変わってくると思います。
現実の心持ちが変われば、当然、行動にも変化がありますからね〜
「私は、⚪︎⚪︎病です」
「私は、⚪︎⚪︎病を持っています」
「私は、⚪︎⚪︎病の症状があります」
「私は、⚪︎⚪︎病とお付き合いがあります」
「私の中で、最近、⚪︎⚪︎病がフィーバーなんだよね」
私もまだ研鑽の途中ですので、よりいい言葉がシェアいただけますと、私と記事を見ていらっしゃる方が喜びます😊
あなたの中にあるたくさんの言葉を、よりご自分の人生の役に立つように、どんな使い方をすることができるでしょうか??
あなたにとって、あなたのために、
どうぞよいお時間をお過ごしください。
またお会いできることを楽しみにしております。
ではでは🙌🙌 🙌
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ご縁に感謝です。 心が喜ぶ自分を、自分で育むことを、ご一緒できると嬉しいです😊