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歴史の岩戸開き(56)~「覇道主義社会」から「王道主義社会」へ

今月22日、6月使用分(7月請求分)の家庭向け電気料金が大手電力会社10社すべてで大幅に値上げすることが発表され、国民の家計を直撃することが報じられていました。

NewsEverydayより引用

この窮状を打開するには「フリーエネルギー技術」の実用化が喫緊の課題となるわけですが、そのためには「自分さえ良ければすべて良し」という私益追求型の「覇道主義社会」から「みんなで助け合う」という公益共有型の「王道主義社会」への転換が不可欠です。

「王道主義」と「覇道主義」の関係性は、老子が説いた「大道廃れて仁義あり」という有名な言葉に端的にあられています。

この老子の言葉は以下のようにつづきます。


大道廃れて仁義あり
智慧出でて大偽あり
六親和せずして孝慈あり
国家混乱して忠臣あり

(現代語訳)
(無為自然の)大いなる道が廃れたので、仁義(の概念)が生まれた。
(悪)知恵を持った者(儒者)が現れたので、人的な秩序や制度が生まれた。
親兄弟や夫婦の仲が悪くなると、孝行者(の存在)が目立つようになる。
国家が乱れてくると、忠臣(の存在)が目立つようになる。
マナペディアより引用


この老子の言葉になぞって言えば「王道廃れて覇道あり」ということになるかと思います。

本記事のタイトルでは『「覇道主義社会」から「王道主義社会」へ』となっていますが、発生の順番からいえば、まず「王道主義」があり、そこから派生したのが「覇道主義」であると考えます。

「王道」とは「天地自然の法則」であり、「王道主義」とは「天地自然の法則に従って生きること」です。

また「大道廃れて仁義あり」は「大道廃れて宗教あり」と言い換えることもできます。

はじめは「大道」=天地自然の法則に従って、天地自然の法則とともに生きていたわけですが、ある時を境に人々のあいだから天地自然の法則に対する認識が薄れてしまったため、「大道」とは何であるかを説く必要が生じ、そこから「仁義」または「宗教」が発生したと考えます。

世界の歴史において、従来は「宗教」の発生は狩猟採集の時代から「新石器革命(農業と畜産の開始)」が起きて、ひとびとが定住して食料を備蓄し、大きな集落をつくるようになってから、集団を統率する術として「宗教」という権威が生まれたと考えられてきました。

ところが1996年より開始されたトルコのギョベクリ・テペ遺跡の発掘調査により、この遺跡はなんらかの宗教施設であり、紀元前1万年から紀元前8000年のあいだに建てられ使用されていたものであることが明らかとなりました。

(ウィキペディアより)

「新石器革命」は紀元前9000年前後とされており、これまで、

狩猟採集→新石器革命(農業と畜産)→宗教の発生

と考えられていた歴史の流れが、

狩猟採集→宗教の発生→新石器革命(農業と畜産)

であったのではないかという考えが浮上してきました。そしてギョベクリ・テペ遺跡が紀元前8000年頃に役割を終えていることから、新石器革命(農業と畜産)が発達することによって、むしろこの宗教施設の価値が失われたのではないかという仮説が提示されています。すなわち農業と畜産の発達によって、かえって「大道」が廃れたのではないかということです。

その一方で、不思議なことに農業が開始されても、大道が廃れることなく、むしろ自分たちの生活様式のなかに織り込み、おとしこんでいった地域がありました。

それが「日本」です。

日本においては「神道」が日本固有の宗教として紹介されていますが、「神道」は素朴な自然信仰と祖先崇拝から成っており、特定の教祖や体系化された教義を持っていません。

そのため、その淵源がいつからはじまっているのかわからないほど深く、あらゆる思想や哲学を受け入れることのできる懐の広さを持っています。

「神道」とはどのようなものであるのかを、あえて説明するとすれば、それは「信じる心」であると言うことができます。

自分を信じる、他者を信じる、自然を信じる、神々や精霊、ご先祖さまが生きておられることを信じる。

なぜ信じることができるのかと言えば、それは理屈ではなく、心で感じることができるからで、「信じる心」とは「感じる心」であると言えます。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治)

この宮沢賢治の言葉は「王道主義社会」の基本理念を言い表しています。

そんなの理想論だよ、と冷笑される方もおられるかと思いますが、世界と切り離されて個人が存在していると考えるほうが、よほど夢想的であると考えるわたしとしては、世界全体の幸福と個人の幸福は不即不離の関係にあり、現実的かつ切実な政治経済の在り方の問題であると考えており、宮沢賢治の言葉を社会的に実現することができるかどうかが、わが家計の電気代の高騰の問題にとどまらず、人類興廃の瀬戸際となっていると感じています。

宮沢賢治の言葉は以下のように続きます。


この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
青空文庫「農民芸術概論綱要」より


ご参考になれば幸いです。

頓首謹言




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