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「紀州家古陶磁」をめぐる「贋作」騒動(白頭狸先生著『京都皇統と東京皇室の極秘関係を読む』5)

第1章 「新文書」の発見(4)

前回の続きとなります。
前回、別著『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』のご紹介をしましたが、白頭狸先生が「真贋」問題に関わることになったのは、佐伯真贋事件が初めてのことではなく、大きいところでは二度目となります。

白頭狸先生が初めて「真贋」問題に関わることとなったのは、平成4(1992年)、大阪府岸和田市市制70周年を記念して開催された「東洋の官窯陶磁器展」をめぐって展開された「贋作騒動」となります。

この騒動の顛末の一部始終を記録したのが白頭狸先生著『ドキュメント真贋』で、著書のタイトルは「真贋」となっておりますが、展示した陶磁器の真贋論争が白熱したわけではなく、実際に展開されたのはハナから「贋作」と決めつけて、徹底的に印象操作する因循姑息な「贋作キャンペーン」でした。

白頭狸先生が古陶磁に携わることになったのが平成元(1989年)の暮、小学校時代からの恩師である画家稲垣伯堂先生よりお誘いを受けたことがきっかけでした。伯堂先生は紀州徳川家の顧問を務めておられ、その伯堂先生より紀州徳川家が所蔵している中国朝鮮の陶磁の研究をしてみないかとのお誘いを受けたのです。

子供の頃より、とくに目をかけて可愛がっていただいた白頭狸先生は、たびたび伯堂先生の屋敷にお邪魔しては珍しい美術品の数々を見せてもらっていたそうです。そのような体験もあり、またご自身、おなじく伯堂先生のご縁で紀州徳川家所蔵の光悦茶碗を入手されるなど、陶磁に関心を抱いていた白頭狸先生は、本格的に陶磁の研究に携わることとなります。

ところが実際に、関連図書を読み漁り、台湾、北京、瀋陽など現地に直接足を運んで調査研究を進めて分かったことは、当時の陶磁学界には「陶磁学」と呼び得るような基本的理論と知識情報の体系化が確立されていないということでした。また各人の「目利き」が主流とされているため、科学的手法が忌避されており、化学工業や窯業技術の方面からのアプローチもほとんどされていない状況でした。

陶磁器は、人が作ったものである以上、必ず時代、場所、材質、製法、製作意図が存在しているわけですが、いざ研究してみると、それらを特定することが極めて困難で奥が深く、専門に研究や蒐集をしている人同士でも意見が対立することは少なくなく、この”答え”は必ずあるはずなのに、なぜか”答え”が分からないという絶妙な状況が、多くの知識人や趣味人の探究心を駆り立てて来たのだと思います。

そのような中で白頭狸先生にとって衝撃的であったのは、平成2年(1990年)3月に稲垣伯堂先生の画室で『紅梅青花九龍文大酒会壷』を拝顔した時で、仰天するほどの超名品であったと言います。しかし、その超名品に類する品はどの図鑑にも乗っておらず、その瞬間に、これまで既存の知識のみで構築してきた白頭狸先生の陶磁史観は崩れ去り、「陶磁学」の体系化することの必要性を痛感されたと言います。


およそ事を行うとき、根本的な知識を他人から借りると、自身に判断力がつかなくなる。基本的なことは自分で研究し体得することが鉄則、と信じる私は、図鑑と文献を頼りに、自分自身で研究しようと決心した。
(『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』347頁より)


上記の言は、ぜひとも銘記しておきたい至言であり、白頭狸先生の首尾一貫した基本姿勢であると存念いたします。
そこで白頭狸先生は、紀州徳川家所蔵の中国朝鮮陶磁の所管を引き受け、知人を誘って「紀州文化振興会」を立ち上げ、また顧問に古陶磁研究家の新屋隆夫先生を迎え入れ、本格的な調査研究に乗り出されます。

かくして所管の古陶磁の一つ一つを丹念に調査と討議を重ねて研究し、その成果を『紀州文化振興会陶磁図鑑』として世にあらわすこととなりました。全4巻のうち、1巻と4巻は李朝もの、2巻と3巻は中国(明、元)もので、とくに李朝ものは、これまでほとんど出回っていなかった王朝御製の陶磁器が多数紹介されており、従来の”用の美”をなすというイメージのあった李朝陶磁概念を大きく見直すきっかけとなる名品揃いでした。
また中国ものにおいても、なぜ紀州徳川家に伝来したのかの来歴を白頭狸先生が徹底的に調査して、これは清朝末に紫禁城に秘蔵されていた宝物を、当時奉天の実権を握っていた張作霖が奉天に移送し、張作霖を支援していた日本の関東軍の協力の下、張作霖の軍資金作りのために紀州徳川家が買い取ったものであることを突き止め、そのことを新たな学説として世に問うたものでした。

この図書をきっかけに「陶磁学」確立の機運が陶磁学界から立ち上がり、また「奉天古陶磁」の来歴に関する歴史学的議論が沸き上がることを期待していたわけですが、その反応の一つとして返ってきたのが上記の岸和田市市制70周年を記念して開催した「東洋の官窯陶磁器展」であったのです。

歴史的かつ美術的な価値のある紀州徳川家所蔵の中国朝鮮陶磁の存在を多くの人に知ってもらえる好機ととらえた白頭狸先生および「紀州文化振興会」は、出来得る限り最大限の準備をして開催に臨んだわけですが、そこに待っていたのはとんでもない悪辣なる”仕打ち”であったのです。

(次回に続く)

(白頭頭狸先生のnote記事より転載)


頓首謹言







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