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お金中心の社会から心中心の社会へ:フリーエネルギー社会(電気の無料供給)の実現と日本の世界史的使命

白頭狸先生を訪問された伏見宮家の華頂博一様のお話の中でもっとも心に強く響いたのは「フリーエネルギー社会(電気の無料供給)の実現」です。
これこそが、これからの世界を明るい世の中にするための必須の条件であると確信いたしました。

そのためには、政治家の皆さまには率先して身を削っていただく必要があると存念いたします。
いま多くの日本国民が苦しみながら日々の生活を送っています。
それは若者だけでなく、中年世代も、高齢世代も、すべての世代の多くの日本国民が苦しんでいます。苦しんでいる人がいる以上、その苦しんでいる人に手を差し伸べることが政治の使命であると考えます。

いま何に苦しんでいるのか。それは現在のお金中心の社会システム、経済システム、法律システムに苦しんでいるのです。
もっと端的に言えば「資本主義」「競争原理」に苦しんでいるのです。

いま外食チェーンで若者が悪戯をする動画がSNSで拡散されて袋叩きに遭っていますが、これを単なる一個人の承認欲求や道徳観に帰するのであれば、それはまことに皮相の見であり、これこそが今の日本社会が限界にきている、というよりも、日本国民の心の苦痛が限界に来ていることを示す日本国民からのSOSであることを察知しなければなりません。

そのことから目をそむけ、なおも資本主義や競争原理を変えようとしないのであれば、何のための政治でしょうか。
政治家の皆様も、日本国民の不平不満の標的とされて、それぞれに辛い思い、苦しい思いをされていることかと存じますが、より良い社会を実現するために政治家となられたのであれば、日本国民の悲痛なる心の声に耳を傾けていただきたいのです。

「資本主義」「競争原理」を変えない限り、これからも若者の自殺は減らず、中年世代の疲弊は已まず、高齢者の疎外化も止まることはありません。ここを変えずして、すべての世代が元気に明るく前に進んでいく、より良い社会の実現などありえないと存じます。

政治家だけではございません。経済界の皆さまにも日本国民の現状をよくよく直視していただきたいと思うのです。貸借対照表を持ち出すまでもなく、一人の勝者を生むためには、その他大勢の敗者が必要です。それが現代社会の「資本主義」「競争原理」の必然です。
皆様の成功はその他大勢の人々の悲痛の上に成り立っていることを忘れて頂きたくないのです。であれば経世済民の理念に則り利益を還元することが経済人としての社会的使命ではないかと存じます。
ところが経済界の泣き所は、かりにそれを単独で実行してしまうと自分たちだけが「資本主義」「競争原理」から脱落し、取り残されてしまうがため、その決断ができずにいることです。

最近のニュースでは低所得層を対象に一律給付の話が出ておりましたが、お金を配ればそれで良いのではございません、それは一時しのぎにしかなりません。
繰り返しとなりますが、いま多くの日本国民が苦しんでいるのは「資本主義」「競争原理」が原因となっているのであって、そこを変えない限り、根本的な問題の解決にはならないのです。
これは日本社会だけの問題ではございません。世界のあらゆる分断と対立、差別と格差の根本原因は「資本主義」「競争原理」にあり、この問題を解決しない限り、世界の人々が心から笑い合い、喜び合える世界の実現はございません。

フリーエネルギー社会を実現するためには、お金中心の社会から心中心の社会に変わる必要があります。
利益を追求する生き方から、人と人とのつながり、思いやりを大切にする生き方に変わる必要があります。
いまお金中心の世界から心中心の社会に変わると述べましたが、日本人にとってそれはあまりにも当たり前、あまりにも馴染みのある生き方であり、縄文以来、否、縄文以前の何万年もの昔から心中心に生きてきたのが日本人であり、それが日本の伝統的精神です。
だからこそ世界のために日本が率先して行動する必要があります。世界からあらゆる分断と対立、差別と格差を解消するために、お金中心の世界から心中心の世界とするために日本および日本人が真っ先に立ち上がる必要があるのです。

そのことを実現するために必要不可欠であるのがフリーエネルギーの導入(電気の無料開放)です。
ですが、フリーエネルギーを導入するためには「資本主義」「競争原理」を止める必要があります。「資本主義」「競争原理」を残したまま、フリーエネルギーを導入すれば、そこには途轍もない超格差と超差別が生まれることとなるからです。
では、どのようにお金中心の世界から心中心の世界へシフトすれば良いかですが、ここに全ての人の英知と善意、最先端の技術と知見を結集する必要がございます。

華頂博一様によれば、苫米地英人博士が資本主義からフリーエネルギー社会に移行するためのアイディアとして「減価するお金」の導入を提言されていたとのことですが、「減価するお金」のアイディアは、ドイツの経済学者シルビオ・ゲゼルも提唱しておりました。

「減価するお金」とは時間の経過とともにお金の価値が減少していくお金のことを言います。資産として貯め込んでいても、時間の経過とともにどんどん目減りしていくので、そうなれば人はお金を使うようになります。もらった人も手元に置いておいても目減りするだけなので、その人もまたお金を使い、そのようにして経済が循環していくことになります。
これは、いわば「お金は天下の回りもの」「宵越しの銭は持たねエ」と言ったキップの良さを美徳とした江戸っ子の心意気をシステム化したものであると考えます。
他には『ネバーエンディングストーリー』で知られる作家ミヒャエル・エンデが同じような考えを提唱していたかと存じます。

本当はこのようなシステムを導入せずとも、人々が所有欲から解放されて、自分の意志でお金中心の社会から脱却できれば良いのですが、なかなか執着というものが抜けきらないのであれば、システムとして導入することも必要であるかも知れません。
ただし、これを実際に導入するとして、さまざまな問題があることかと存じますが、そこに全ての人の叡知と善意、技術と知見を結集して、フリーエネルギー社会の実現を目指していきたいと思うのです。

以上思いつくままに書き記して参りましたが、いまこそ全ての世代の方々が垣根を超えて心を一つにして日本のため、世界のため、そして未来の子どもたちのために一歩を踏み出す時であると存念する次第です。

最後に私が敬愛する宮沢賢治さんの言葉を紹介して結びとしたいと存じます。先日、電車に乗っている時、スマホで見つけた「雨ニモマケズ」をふと口ずさんで読んだ時、なぜだか涙が溢れて止まりませんでした。私もそういう人になりたいと思います。


世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

(『農業芸術概論綱要』より)



頓首謹言

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