「先生はえらい」(内田樹著、ちくまプリマー新書)感想文

 人はなぜ学ぶのか。この本はこうした問いにはっきりと、「こうです」という答えを授ける類の本ではない。結論を「こう」と述べる本ではなく、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら、一つの同じことを何度も反復しているような不思議な議論を展開する。
 わからない、ということがこの本の一つのテーマとなっていることは確かだ。著者によれば、「学ぶものは自分がその師から何を学ぶのかを、師事する以前には言うことができない」のだと言う。このこと一つとっても、本書の難解さが垣間見れる。
 感動的なのは、著者が言う「誰だって教師になれる」という主張だ。このことは一見、教師たちをけなす文言となりかねない。しかし、その裏には、「学びとは学ぶものの主体性にかかっている」という主張がある。「先生はあなたが探し出すのです。自分で。足を棒にして。目を皿にして。」と著者が述べる通り、教師たちは天から降ってくる贈り物、あるいは著者の言うように、恋愛における「白馬の王子様」の如き妄想の産物ではない。しかし、この点にこそ、教師たちの偉大さがある、というのがこの本を読んだ私が感じたことだ。
 教師たちは日々教壇に立つことによって、この逆説を生徒たちに教え続けている。学びというものの中に潜んでいる神秘性、あるいはまた卑近さ、それを抉り出して教えてくれる一冊だと感じた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?