よく読まれる文章とは?

 今の自分にとって一番欠けている思考とはなんだろうか?
 ふとそんなことを思う。
 最近SNSで情報発信するようになったものの、今一つ価値のある情報になっていない気がする。
「そんなものの見方があったのか!」
「俺もそんな風に考えてみたい」そんな風に思わせる記事はなかなか作れない。
 と書いてきて、いきなり変な考えが浮かんだのだ。ちょっと聞いて欲しい。
 SNSで、僕にとって最も都合いい状態とは、①この情報にはすごく価値があると思わせておいて、②その情報を簡単に言い換えることができない、この①と②の両方を満たす記事を発見することである。
 要するに、「なんか変なもんができちゃったんだけど、ねえ、見てよ」
 これが基本的な作品作りのコンセプトだと思うのだ。
 これは料理の面白さと通じるところがある。それは「失敗した料理を食べさせようとしている女の子は大抵興奮している」ということを知っていればわかることだ。
 なんか変なものができたという手応えは人を興奮させる。
 だから、料理は脳味噌にいいのだ。
 料理をしていると、ふと出来心が生じてくることがあるのは誰もが知っている。
 なんとなく、ここであの野菜を入れてみたい、と思う。
 作品というのは、そういう思いがなければ作っていてつまらない。要は頭の中にあるスパイスが発作的に発動することが作品作りには必要なのだ。
 どうしてそこでそういうアイディアが出てきたのかは言えない。そこに必然性があればあるほど、何故なのかは言えない。
 そうなのだ、強い確信は、理由の不在を伴う。
 
 そういうものなのだ。僕は学生時代発作的に大学院をやめて、フリーターになったのだが、その判断が一番重要な人生の決断だということは当時から本能的に理解していた。
 理由が言えてしまうということは、実はそこに必然性がない、ということなのである。
 だから、理由があって、今何かの行動を起こそうとしている人がいたら、とりあえず、冷静になって、もう少し考えた方がいい。
 一番阻止することが難しいのは、理由を持たない人間だ。
 というか、正確には、一番阻止することが難しいのは、「自分を含め、全ての人にわからない理由を持っている」人間なのだが、要はそういう人の文章が多くの人に読まれる文章なのだろう。

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