運命

「運命」という言葉がある。
 しばしば自分の人生を変えるような経験だったり、転機となるような経験を経た後に、「あれはまさに運命だった」という風にして使われるアレだ。
 まさに常套句として使い古された言葉だが、ここには何か見過ごすことのできないものが落ちている。
 我々が運命に出会うとき、そこにあるのはいつもとなんら変わらない日常であることも多い。というかいつもの日常より劣る光景であることもしばしばあるのだ。
 つくづく不思議だと思うのは、誰かにとってどうでもいいものが往々にして我々の生活を一変させてしまう、ということなのだ。ここに運命の不思議さはとりあえず集約されていると言っていいだろう。
 誰かが捨てていったものを執拗に見てしまうことがある。夜、いつもの散歩コースに誰かが捨てていった家具類がどかどかどか、っと置いてあることがある。このようなとき、何故か胸が踊るのは僕だけじゃないはずだ。
 夜逃げしたのかもしれない、急に整理しようと思い立ったのかもしれない、理由は定かではないが、そこに誰かがいらなくなったものがある、そのことに興奮したのである。
 
 僕にとっての「希望」とはそのようなものだ。誰かが捨てたもの。誰かがいらない、と思ったもの。そこに何らかの有用性を見出し、使えるものにするのは僕たちの仕事だ。
 夜の散歩道を何かに出会うのを期待するようにして歩く、それが新しいものが始まる時の基本的なあり方だ。だから僕は暗い道を歩く。
 そこで見たものを蔑ろにしたくないのだ。
 ある日探していた部品が見つかるだろう。ただし、それが「運命」と呼ばれる部品だとその時は知らずに。

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